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筆者の現在の立ち位置(思想的立場)について

現在、筆者は特定の宗教団体には属していないが、無神論者という訳ではないし、唯物論者という訳でもない。個人的には、人生を支える精神的支柱として信仰は必要な場合もあると思っている。

例えば、最近の新聞記事によると、唯物主義の中国では、キリスト教に入信する女性が増えているのだという。主に農村部で、夫や子供の出稼ぎで家に残され、畑仕事や老人介護など過重な負担に苦しむ女性が、精神的な拠り所を求めてキリスト教に入信しているのだという。

マルクス主義唯物論の国家で、信仰に心の救いを求める人々が急増しているというのはいささか皮肉な現象ではあるが、唯物主義の国でも、人生には精神的な支えとなるものが必要だという事なのだろう。そして、それは、人生には心の救いとしての信仰も必要な場合もあるということになるだろう。

しかし、だからと言って、信仰は強制されてするものではない。

また、創価学会は、特定の宗教に入信していない人々を「無信仰者」と断じているが、それは形式主義者の戯言でしかない。信仰というものは心の問題であり、決して、外面的に特定の宗教に入っているか否かで「信仰心がある」とか「信仰心がない」などと決めつけられるものではないからだ。
美輪明宏氏も著書の中で「信仰と宗教は違う。宗教は企業と同じ」と述べているように、信仰=宗教ではないのだ。
それ故に、信仰というものは個々人がそれぞれに心の中に抱いているべきものだと思う。創価学会のような1宗教団体に個人の信仰をとやかく言われる筋合いはない。

そういう訳で、筆者は特定の教団には属していないが、思想的立場としては、原始仏教に説く釈尊の思想を基盤にしている。そういう点で、思想的には宮崎哲弥氏の立場に近いとは言える。
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自己紹介 [2]

そういう経緯で、創価学会は「末法の正法」ではないという事に確信を持つに至ったが、しかし、それですんなり脱会できない所が創価学会という教団である。脱出する方法を考えている間に月日が流れてしまった。
そんな折に起きたのが、日蓮正宗と創価学会が対立するという事態だった。
日蓮正宗と創価学会は一体不二の関係だと思っていたので、意外な事ではあった。
少なくとも当時、創価学会の言う「仏法正義」は、あくまでも日蓮正宗の1信徒団体としての立場にあって初めて成り立つ事由であった。日蓮正宗と対立する教団は皆「邪宗謗法」になる、というのがそれまでの創価学会の主張であったからだ。創価学会の存在意義そのものが消失しかねない事態となったのは確かだった。

しばらくすると、筆者が所属していた支部でも、「○○地区の○○さんが学会を脱会して檀徒(日蓮正宗法華講員)になった」という噂を聞くようになった。実際、所属支部では数世帯の会員が脱会して日蓮正宗の檀徒になっていた。
筆者は、堂々と脱会するのはこの機会しかないと思った。そして日蓮正宗と創価学会の対立に乗じて脱出に成功できたのである。
筆者は脱会の仕方が判らなかったのだが、先に脱会した人に訊くと、「ハガキに脱会届と書いて、名前と所属支部名も記入して、所属文化会館宛に出せばいいんだよ」と教えられ、その通りにして脱会できたのだ。
これは我ながらうまくいったと思っている。何より時機が良かった。今でこそ日蓮正宗にあらゆる罵詈雑言を吐き散らしている創価学会だが、当時はまだ日蓮正宗の1信徒団体という立場であった為、学会を脱会して日蓮正宗の直属の信者(法華講員)になると言えば、まさに、水戸黄門から印籠を見せられた悪代官のように、「ははあ」とばかりに平伏はしないまでも、黙っているしかなかったからである。その時機を逃したら、堂々と脱出する事はできなかっただろう。

その後、筆者は日蓮仏法そのものに関心を失っていたので、脱会の経緯上、しばらくは日蓮正宗法華講に属していたが、ほどなくしてそこからも離れ、特定の教団に属さないで現在に至っている。





自己紹介 [1]

創価学会を批評する前に、先ずは筆者自身について語っておきたい。

筆者の両親は創価学会の会員であり、筆者も幼い頃に入信させられていて、物心ついた頃にはすでに学会員であった。いわゆる学会2世である。

そのように小さい頃から創価学会の環境の中で育った為、子供の頃は創価学会の思想を当然の事と思い、創価学会に疑問を抱く事もなかったのであるが、しかし長ずるにつれ、創価学会への矛盾点や疑問点を感じるようになっていった。

特に「仏法は勝負なり!」「戦え!」「闘争しろ!」「大勝利せよ!」と叫ぶ創価学会の闘争思想と体育会系の雰囲気にはどうにも馴染む事ができず、違和感だけが増大するばかりであった。

そんな中、そもそも創価学会が主張する学会教学なるものは果たして真理・真実なのかという疑いを持つようになり、独自に仏教の研究を始めたのだった。

当時、筆者は全くの無知蒙昧であり、思想としては学会教学しか知らなかったのであるが、先ずは、創価学会以外の宗教文献を読む事から始めて行ったのだ。

そうしている中で行き着いたのが近代仏教学の文献であった。それまでの宗派的立場による伝説化あるいは神話化された仏教思想ではなく、科学的手法による歴史的事実としての仏教研究に辿り着いたのである。

特に中村元氏や増谷文雄氏の著書を中心にして、仏教の歴史と思想の成り立ちを学んでいったのであった。

無論、学問としての仏教学と信心・信仰としての仏教教学を同列には論じられないが、少なくとも、その信仰している思想の歴史観が歴史的事実であるかどうかという事くらいは正しく認識しておく必要があるだろう。

歴史的事実と合わない、あるいは歴史的事実を無視した、または歪曲した神話化された仏教史観を事実だと信じるならば、それは迷信となり、あるいは盲信・狂信となってしまうからである。

そうして近代仏教学による仏教の歴史を学んでいくと、創価学会の主張する仏教史観は、歴史的事実と異なる事が判ってきたのである。







はじめに

「宗教界の王者」を標榜し、過激な布教によって破竹の勢いで勢力を拡大してきた創価学会。

今や政治・経済などあらゆる分野に根を張り、社会の中に浸透しているかのように見える巨大教団であるが、同時に、さまざまな問題を起こし、社会との間に軋轢を生じさせてきたのも事実である。

その組織が巨大であり、社会への影響も少なくない存在である故に、創価学会問題は見過ごせない課題であると思う。

当ブログでは、巨大教団・創価学会の問題点をさまざまな角度から検証していきたいと思う。
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