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創価学会の、本当にあった笑える話&悲しきエピソード [2]  「声仏事を為す」でのどを痛める

創価学会では、「声仏事を為す」という標語がよく使われる。『御書』にある日蓮の言葉として引用されている言葉(元々は中国天台宗の第四祖・章安大師の言葉)だが、創価学会では、折伏や仏法対話をせよと意味で使う場合の他に、題目を唱える時や話をする時に元気よく大きな声を出せという意味で使う事が多い。
創価学会では「生命力」というものが強調されていて、生命力を湧き出だす為には、題目を唱えるにしても話をするにしても、とにかく元気よく大きな声を出せという事が言われる。創価学会では元気よく大きな声を出していると、「生命力がある」と称賛される。創価学会の体育会系の雰囲気はこの点に由来しているのだろう。
それで学会員は大きな声を張り上げて唱題する訳だが、今回はそれについて面白いエピソードを紹介しておこう。

これも実家の親から聞いた話であるが、創価学会では、よく唱題会というものが行なわれる。拠点の会場(学会員の家)に集まって題目を唱えるのだが、特に婦人部は昼間の時間が空いている事が多いので、頻繁に行なっているようだ。殊に選挙期間中は「公明党必勝祈願」の唱題会を連日行なっている。
そこで「声仏事を為す」とばかりに皆大きな声を張り上げて何時間も題目を唱えるのだが、その結果、のどを痛めて病院通いする人が続出しているのだという。
「声仏事を為す」でのどを痛める。創価学会らしいエピソードである。
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創価学会の、本当にあった笑える話&悲しきエピソード [ 1 ] 選挙応援で酒をたかる学会幹部

このコーナーでは、筆者が見聞した創価学会にまつわる笑える話と哀愁漂うエピソードを紹介していきたいと思う。

まず第1回目は、今選挙期間中なので、選挙に関連した話を書いておこう。

創価学会では激戦になる重要な選挙には、他の地域の学会員が選挙応援に行く事が多い。特に東京都議選で、地方の学会員が選挙応援の為上京するのが有名だ。

逆に、組織力の弱い地方での選挙には、隣接する都市部から学会幹部が選挙応援に入る事が多いようだ。
しかし、この選挙応援に入る幹部の中にはとんだ食わせ者がいる場合がある。

これは実家の親から聞いた話であるが、選挙戦の為、隣の市から数名の学会幹部が入って来た時の事。幹部は学会員の家を一軒ずつ回って指導をしていったそうであるが、その中の一人の幹部が筆者の実家に訪問して来た時の話である。
家に上がり込んだ幹部は、先ず選挙戦での戦い方について話をしていたそうだが、そのうち、昼間から酒を飲ませてもらいたいような口ぶりになったのだという。それで、母が酒を出してやると、嬉しそうに酒を飲み始め、ご機嫌な様子で帰って行ったのだという。
これには人の好い我が親も、「選挙の応援に来たのか酒をたかりに来たのか判らない」と呆れていたものだ。

選挙戦真っ只中!

参院選真っ只中、創価学会も選挙モード真っ最中で、選挙の好きな学会員は毎日活き活きと選挙活動に励んでいる事だろう。この時期、特に地区幹部や支部幹部は、F(公明党支持者)獲得数のノルマを課せられて奔走している事であろう。
今でも覚えているが、筆者が学会員の頃の選挙戦での事、地区部長など地区幹部は毎日のように夜遅くまで、幹部会にFの報告に集まっていた。筆者は地区幹部ではなかったが、幹部から「君も幹部会に行って来い」と言われ、夜10時頃、所属本部の拠点に行ったのだが、そこでは、すでに数十人の地区幹部達が座っている中、F獲得数の少ない地区の地区部長が立たされており、本部長から、「どのツラ下げて報告に来たんだ!」と罵声を浴びせられている最中であった。筆者が所属していた地区の地区部長も立たされて吊るし上げられていた。
地区幹部も大変だなあ、とその時思ったものである。恐らく地区幹部が最も割に合わない役職ではないかと思う。
ただ、学会員には、大幹部から吊るし上げられるのが生きがいだという者もいるから、そのような者にとっては楽しい日々なのであろう(筆者が所属していた地区の地区部長がそうだった)。筆者は真っ平だが。

創価学会の教学の程度

かつて創価学会は自ら「宗教界の王者」と豪語し、学会教学が完璧であるかのように誇示してきたが、実際はどうか。

創価学会はこれまで「過去世で法華経を誹謗した者は今世では法華経になかなか巡り合う事ができず、不幸な人生になってしまう。過去世で法華経を信仰した者は今世でも法華経に巡り合って幸福な人生を送る事ができる。だから来世も法華経に巡り合う事ができるようにしっかり法華経に帰依せよ」と主張してきた。

しかし、世間を見回せば判るように、法華経を信仰していなくても、創価学会で信心してなくても、幸福に生きている人々や成功の人生を生きている人々はいくらでもいるものだ。逆に、創価学会で信心していても、なかなか幸福になれない学会も大勢いるものだ。この点については創価学会の教学では説明がつかない。
学会員が不幸続きの場合、創価学会は「それは過去世で犯した法華経誹謗の宿業があるからだ。こういう時こそますます信心強盛(しんじんごうじょう)になって学会活動に励まなければ宿命転換できない」と主張しているが、では、学会員ではない者が幸福な人生や成功の人生を生きている事についてはどう説明するのか。

筆者が学会員だった頃、幹部にこの点を質問した事があったが、その幹部はしばらく答えに窮した後、「学会で信心してない者が一時的に幸福そうに見えても、それが絶対的な幸福とは言えない。人生は最後まで見てみないと判らないものだ」と言った後、「幸福というものはただ世間的に成功したそういう一時的な現象に惑わされずにしっかり学会で信心を貫く事が大事なんだ」と答えにならない結論付けで締めくくったものであった。
要するに、創価学会の教学では納得のいく説明ができないし、それだけの理論もないという事だ。
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Author:時空無限
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