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創価学会と親しい著名人 [1]

創価学会部外者の著名人の中には、創価学会を賛美・擁護している人物や支持している人物、あるいは親しくしている人物も存在している。創価学会はそのような著名人を繰り返し聖教新聞等の機関紙・誌に掲載してはいかにも創価学会が著名人から正しい宗教として認められているかのように宣伝しているのだが、注意しなければならないのは、それら著名人達はただ親しくしているだけで、創価学会には入信していないという事だ。
例えばパナソニック創業者の松下幸之助氏。今でも時々聖教新聞に池田名誉会長と対談している写真を掲載して、創価学会だけと深い付き合いがあったかのように印象づけをしているのだが、松下幸之助氏自身は龍神信仰で知られており、付き合いについても創価学会だけと親交があった訳ではなく、実家の浄土真宗を始め、真言宗・禅宗・神道・天理教・大本教・金光教・弁天宗・キリスト教・立正佼成会等々とも幅広く付き合いがあったという。しかも、どの宗教の信者にもなっていない。 
創価学会は今でも鬼の首でも取ったかのように松下幸之助氏と池田名誉会長の親交を記事で取り上げているが、創価学会に対してはあくまでも企業の経営者の立場から、人材育成の面で名誉会長と気が合う部分があったから親しくしていたという事なのであって、創価学会を末法の正法教団だなどと思っていた訳ではない。本当に正しい宗教だと思っていたのなら創価学会に入信していた事だろう。

筆者が学会員だった頃、ある地区部長が「松下幸之助は創価学会に入信していないが、広宣流布を戦略的に考えるなら、松下幸之助のような社会に影響を与える著名人は学会員になるよりも、学会部外者として創価学会を外側から賛美したり擁護してくれる方が創価学会にとっては有利になる」などとしたり顔で喋っていたものである。
創価学会にとって有利になるかどうか知らないが、いずれにしても、松下幸之助氏は創価学会と親しくしてはいても、自分が創価学会で信心したいとは思わなかったのは確かだ。






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創価学会の、本当にあった笑える話&悲しきエピソード [10] 会員から総スカンを喰った大幹部

聖教新聞には「学会員全員が幸福に!」とか「学会家族には最高の福運が!」などと、いかにも創価学会は居心地の良さそうな団体であるという表現の記事を書き連ねているのだが、実際に学会員となって学会活動を始めると、入信した時の対応は一変し、活動家として創価学会の働きアリのような扱いとなる。折伏の成果や選挙戦での票集めの成果、それに聖教新聞の販売拡張に、会合への部員の連れ出しなどなど、成果を上げなければならない事を押しつけられ、成果を上げられないと幹部から吊るし上げられ糾弾される事になる。これは創価学会での常識である。
尤も、幹部から吊るし上げられるのが楽しくて仕方がないという者もいるから、そういう者にとっては楽しく幸福な所なのだろう。
ただ、大幹部も会員をなめているとしっぺ返しを喰うという事がある。
これは実家の親から聞いた話だが、昔、まだ創価学会が猛烈な折伏戦を展開していた頃の事。折伏戦の活動家大会があり、隣接する市からやってきた大幹部が会合の最後に指導をしたそうだが、その時の指導というのが、「この支部は折伏の成果が上がっていない! 組織に全く活気がない! ここから見てみると、皆老けた顔をしている! しわだらけの年寄りの顔ばかりだ!」と言いたい放題だったという。それでも地元の会員はその場では皆黙って聴いていたのだが、その後、地元の幹部に「いくら何でもあんな言い方はない!」「あんな幹部には来てもらわなくてもいい!」と皆で猛抗議したのだそうだ。
何を言っても黙って従うだろうと高をくくっていたと思われる件の大幹部だが、総スカンを喰って恐れを為したのか、その後2度と来なかったそうである。
創価学会が怖いもの知らずに大折伏戦に邁進し、学会幹部が増上慢となって会員に威張り散らしていた頃としては確かに珍しい話である。あの時代に会員達が大幹部に猛反発するとは実に面白い。
学会幹部も会員の前でうかうか威張ってはいられないという事だろう。

折伏は師匠を見習うべし

近頃の聖教新聞を見ていると「獅子奮迅の折伏の金字塔を」という記事が載っていた。
これは裏を返せば、近頃は折伏の成果が上がっていないという事なのだろう。それで喝を入れる為に上記の記事を掲載したのだろう。
恐らく創価学会の活動家は大幹部から「折伏の成果を上げろ!」と吊るし上げられているのかも知れないが、それに対しては学会員の中からも

「まずお前がやれ! ぼけ!」(ここはダウンタウン浜田調)

とか

「死ぬまでにア○ネス・チ○ンを折伏しとけ! タゴ作!」といった声が聞こえてきそうだ(実際、筆者の知り合いの中に、名誉会長を「池田タゴ作」と呼んでいる学会員がいる)。

近年創価学会は、日蓮正宗と訣別してからは主に日蓮正宗に対しては「折伏」とか「破折」という言葉を使っているが、その他の宗教に対しては「仏法対話」という言い方をしているようだ。折伏と仏法対話ではかなりトーンが違ってくる。そういう事もあって現在の創価学会は以前のような折伏ができにくくなっているのだろうと思う。
今の学会員の多くも友人関係を壊したくないとか、近所と仲良くしておきたいという思いがあって、昔のような折伏ができないと思う。それは師匠の池田名誉会長も同じらしく、友人だという著名人とは仲良くしているだけで、「創価学会に入信しなければ地獄に堕ちるぞ!」などと言う事ができず、なかなか折伏ができないようだ(と言うよりも、最初から折伏する気がないのだろうと思うが)。
あるいは、名誉会長は「現代のナポレオン式折伏」を実践中なのかも知れない。それならば、創価学会では最近盛んに「弟子は師の歩んだ道をゆけ」とか「師の後に続け」などという事を強調しているようだから、学会員は師匠の真似をしておけば良いのではないか。なにしろ師匠が見本を示しているのだから、師匠のサル真似をしておけばいいだろう。
学会員も「なるほど、あんなふうにただダラダラと仲良くしておけばいいんだな。折伏というのは楽だな」と気が楽になるのではないか。
という訳で、学会員諸君、せいぜい頑張ってくれたまえ(成果は上がらないと思うが)。










 

師匠への報恩感謝をせびる創価学会

以前からそうなのだが、特に近頃の聖教新聞を見ていると、「師弟不二」を強調する記事が多い。例えば6月9日の記事には「師匠を宣揚するのが弟子」とか、6月16日の記事には「「師匠への報恩」が前進の力」といった具合だ。
師匠とは言うまでもなく「現代のナポレオン」こと池田SGI会長の事だが、要するに、「弟子はもっと師匠を褒め称えろ」とか、「弟子は師匠への報恩感謝の念をもっと形で表わせ」という事を言いたいのだろう。
大震災から3カ月、まだ被災生活の学会員もいるというのに「師匠に報恩感謝しろ」などと言ってる場合か。

現世利益信仰の限界

東日本大震災で被災された方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。また、一日でも早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。





未曾有の大震災から3か月が経過した。この3カ月の間に自然災害の脅威を改めて思い知らされると共に、海外からの支援と善意、防災システムの脆さ、原子力発電所の安全性の危うさ、政治の混迷などなど、様々な点から考えさせられた。

このブログのテーマである宗教と信仰の観点から見てみるならば、大震災後、諸宗教・諸宗派が被災者の為に支援活動を行なったり、あるいは祈りを捧げるなど、宗教者の立場としての支援行動の動きがあった。特に伝統的な日本仏教は「葬式仏教」などと批判される事も多いのだが、現実での救済に宗教が機能したという点で、社会に存在感を示したと言えるのではないかと思う。
ただ、その中にあって、創価学会の場合、会館を被災者の為に避難所として開放したと言っても、他のブログにも書かれてあるように、原田会長などの大幹部が見舞いに訪問した際、非会員の被災者の心情に配慮する事もなく、自分達だけで盛り上がっているなど、その無神経ぶりが露呈されていた。この点にも創価学会の傲慢さが窺がえよう。
それともう1つ、今回の大震災で思った事は、現世利益信仰には限界があるという事である。
多くの宗教にも多かれ少なかれ現世利益信仰の側面があるのは否めない。それは、諸宗教が伝播してゆく過程で、それぞれの地域の民間信仰を取り込みながら発展していったという経緯があるからである。
一口に言えば、善悪に関係なく願望を叶えるというのが民間信仰、生き方を説くのが宗教と言えると思う。
ただ、一般的には、正しい生き方の結果として現世利益が得られるというように説いている宗教が多いようだ。
そこが民間信仰と宗教の違いだと言える。
そのような諸宗教の中にあって、創価学会は特に現世利益を強調している教団として知られている。
そもそも布教する際に「この信心をすればお金に困らなくなる」とか「仕事がうまくいくようになる」とか、現世利益を前面に出した折伏を行なってきており、生き方を説くというよりも、人の欲望を煽り立てるようなやり方をしてきたのが創価学会なのである。生き方を説くよりも先に、まず現世利益としての「功徳」で信者を増やしてきたのが創価学会だと言える。
テリー伊藤氏と佐高信氏の共著『お笑い創価学会』でも、そのような創価学会を「欲望の全面肯定」と評していたものだ。

昔、学会員だった頃、創価学会の宣伝ビデオをいくつも見せられた事があるが、その中には必ず学会員の体験談も入っていたものだ。例えば、町内が台風の被害に遭ったが、学会員だけが助かったとか、近所で大火事があったが、学会員だけが被害を免れたとか、この手の体験談が多かった。本当に学会員だけが助かったのか真偽は判らないが、いくら創価学会が、「災害に遭っても学会員だけが助かった」と主張しても、実際の現実はそうではない。
阪神淡路大震災の時も、今回の大震災でも、学会員からも多くの犠牲者と被災者が出ているのは事実だ。

これまで創価学会は、功徳の実証を顕わす事のできない会員に対して「お前の信心が足りないからだ! もっと題目唱えろ! もっと学会活動しろ!」と叱咤してきたのであるが、今回の被災者に対しても「信心が足りなかったからだ」と言えるのか。
被災した学会員が全て学会活動に消極的な者ばかりという事はないだろう。それこそ創価学会が言う所の「信心強盛(しんじんごうじょう)」な学会員も数多くいたことだろう。しかし現実は、そのような信心熱心な学会員からも多くの犠牲者と被災者が出ているという事実だ。
かつて創価学会は自ら「宗教界の王者」と豪語し、自画自賛していたものだが、宗教の王者と誇ってみても、自然災害の前には功徳の実証も出てこなかったようである。地震や津波は学会員だけを避けて通ってはくれなかったという事だ。
この点において、現世利益信仰には限界があると言わざるを得ないのである。確かに、願望を達成する事によって幸福を得るという生き方は積極的な生き方ではあるし、生きる上で希望が持てる生き方ではあるが、しかし、あまりに現世利益を強調しすぎても、現実はそうはならない事も多いのだからそれが限界なのだ。

いつも強気の創価学会だが、派手に現世利益を宣伝していてもそのうちボロが出てくるのだから、「大ボラ吹き」と言われないようにほどほどにしておいた方が良いだろう。





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