スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

創価学会と擁護者の関係

以前にも書いたが、世の中に創価学会を嫌っている人々が多い中で、創価学会を賛美・称賛し、擁護している外部の著名人・有識者も存在している。古くはパナソニック創業者の松下幸之助氏。歌手のアグネス・チャン氏や大学教授の渡辺武達氏などは今でも創価学会と親密であるし、近頃では脳科学者の茂木健一郎氏が池田名誉会長と往復書簡を交わしている。これら著名人達は学会機関紙に掲載されている罵詈雑言記事くらいは知っているはずだし、創価学会関連の事件やスキャンダルも知っていると思われるが、その事に関してはどう思っているのだろうか。世間から嫌われている創価学会と仲良くする事によって自分達も世間から叩かれたりイメージが悪くなるのではないかという危惧は抱かないのだろうか、と思うのだが、それ以上に、著名人達のメリットになるから賛美したり擁護したりするのだろう。
そもそも、これら著名人達が創価学会の信仰を正しいと思ってないのは明らかだ。創価学会こそ正しい宗教だと思っているのなら、創価学会に入信しているはずだが、誰も学会員にはなっていない。茂木健一郎氏は「創価学会には親近感を持っている」と発言したそうだが、それでも学会に入信していない。というより、学会員にはなりたくないというのが本音だろう。それより、今の関係が創価学会に取っても著名人に取ってもメリットになるからだ。創価学会はこれら部外者の著名人を外部の広告塔として利用してきたし、著名人もまた学会側から何らかの利益を得てきたものと思われる。互いに持ちつ持たれつの関係にあるようだ。
これら著名人達は創価学会に入信する事なく学会活動する訳でもなく、外部から適当に学会賛美をしておけば学会からチヤホヤされて何らかの見返りも得られる訳だから気楽なものである。
また、今やメディアが創価学会に支配されているという現状では、創価学会に逆らっても勝ち目がない事から迎合追従する姿勢を見せているのかも知れない。いつもは政治家に舌鋒鋭く切り込んでゆくジャーナリストの田原総一郎氏だが、その田原氏でも、創価学会の秋谷会長(当時)へのインタビューでは鋭い舌鋒も影を潜め、「創価学会に期待している」と発言して追従する姿勢を見せていたものだ。長い物には巻かれろという姿勢にあるのが今のメディアのあり方だ。いずれにしろ、このような著名人・有識者による無責任な学会賛美や追従が創価学会を増長させてきた一因となってきたのも確かだと言ってよい。

スポンサーサイト

井の中の蛙、大海を知らず

筆者の伯父(母の兄)は熱心な学会員で、昔は「我々は最高の仏法哲学を学んで実践しているんだから威張ってていいんだ」と、筆者の母によく言っていたそうだ(今は言わなくなったそうだが)。だが、伯父は哲学書も思想書も学会関連以外のは読んだ事もなく、また関心も持っていない。テレビ番組は主に「水戸黄門」(再放送含む)と歌謡番組ばかりで、報道番組はめったに見ないという。新聞も一般紙は取ってなくて聖教新聞と公明新聞だけを購読している。聖教新聞は熱心に読んでるそうだが、これでは社会の動きは聖教新聞を通してしか判らない。
創価学会の出版物だけ読んだり学会幹部の言う事だけを聞いてそれで「創価学会が最高の仏法哲学だ」と思い込んでいるのはまさに「井の中の蛙、大海を知らず」という状態だ。このような「井の中の蛙」状態は伯父に限らず、多くの学会員に見られる事である。
この前、ネットの質問サイトで、ある宗派の僧籍の人の投稿を見た。それには「学会員と仏法について語った時、根本仏教についての話をすると相手はキョトンとしていた。仏法を学んでいると言っているが、根本仏教も知らないようだった」といったような事が書かれてあったが、創価学会の偏狭な思想だけしか知らない学会員だから、学会教学以外の事には無知な者が多いのは当然だと言える。学会員は学会の教学試験を受けてそれで助教授とか教授という肩書きをもらい、それで全ての哲学・思想を学んだつもりでいるのだろう。
他の様々な哲学・思想を学んだ上でなければ自分の信じているものが「最高の仏法哲学だ」などと胸を張って言う事はできないだろう。学会幹部の言葉を受け売りしてそれで最高の哲学を実践しているかのようにうぬぼれるのはまさに「井の中の蛙」でしかない。


創価学会が嫌われる理由 [2] 

「創価学会で信心すれば何でも願いが叶う」
「創価学会の題目で祈れば願いとして叶わざるはなし」
「学会活動すれば功徳がたくさんもらえて生活に困らなくなる」

これらは学会員が折伏する時に使う常套句だが、しかしそうやって宣伝している学会員には金に困って借金して回っている者も少なくない。
筆者は以前に学会員同士の金銭トラブルの実態を書いた事があるが、学会員の中には学会部外者との間でも金銭トラブルを起こしている者もいるようだ。筆者の知人E氏(非学会員)が勤めている職場に、学会員で地区部長をしているというベテラン社員がいるそうだが、その地区部長が鬱陶しいくらいに選挙で公明党への投票を頼んできたり、座談会に誘ったり、学会に入信するようにと勧誘してくるのだそうだが、それだけでなく、毎年2か月に1回の割合で「金貸してくれないか」と言ってくるのだそうだ。「信心すれば何でも願いが叶うと言っていながら、金貸してくれとはどういう神経をしているのか」とE氏は呆れていたものだ。
他にもやはり学会員から借金を申し込まれて貸してやると、踏み倒されたという知り合いもいる。この知り合いの場合、相手の学会員は借用証まで書いてすぐにでも返すような事を言っていたのに、期日が来てもなかなか返済しないし言い訳の電話さえしてこないので相手の家に行って催促すると、不機嫌になって文句を言い出し、更に「何でそんなに金が必要なんだ? パチンコにふけって金がなくなったのか?」と神経を逆なでするような事まで言い始めたのだという。それで相手は結局返済する事もなく、信頼を裏切られて不快な思いをさせられた上に踏み倒されたのだという。その知り合いは「もう2度と学会員には金は貸さない!」と憤っていた。
上記の実例に限らず、学会員にはこういうタイプが多い。筆者の経験では、中でも地区幹部が特に目立って多かった。このような学会員は自分の行為が正法の名を貶めているという事に気づかないようである。
「学会で信心しなければ生活も良くならない」と言って折伏していながら自分が金に困って借金しているようでは、誰も学会の信心で願いが叶うとは思わないだろう。少し頭を働かせれば判りそうなものだが、非常識な学会員はそこまで頭が回らないようだ(笑)
何しろ創価学会では機関紙でも幹部の指導でも「勝って勝って勝ちまくれ!」とか「断じて勝て!」とか「大勝利せよ!」などと学会員をそそのかしているから、学会員も借金を踏み倒して「大勝利!」とか「功徳の実証が出た!」と言って喜んでいるのだろう。
なるべく我欲を抑え、控えめに慎ましく生きるのが一般的には信仰者の美徳とされているが、創価学会では、控えめに慎ましくしていると「元気がない!」「生命力がない!」と罵倒される。筆者が学会員だった頃「学会員は遠慮するな!」と言っていた男子部幹部もいた。このような雰囲気の中では厚かましく図太く図々しい学会員が出てくるのも当然ではあるだろう。このように厚顔無恥な学会員に不快な思いをさせられた人が多いのも創価学会が世間から嫌われている理由となっているようだ。
無論、全ての学会員がそうだという訳ではない。常識豊かな真面目な学会員もいる事だろう。以前に、ネットの質問サイトで「何も悪い事をしてないのに、学会員というだけでなぜ非難を浴びせられなければならないのか」という学会員からの投稿を見た事があるが、勿論、常識ある真面目な学会員は悪くない。悪いのは、非常識な事をそそのかしている創価学会と非常識な学会員が悪いのである。常識ある真面目な学会員も創価学会と非常識な学会員の被害者だと言ってよい。恨むなら非難をしている世間ではなく、非難されるような事をしている創価学会と非常識な学会員を恨むべきである。恨む相手を間違えてはならない。

創価学会が嫌われる理由 [1] 

聖教新聞等で「創価学会を世界が絶賛!」「創価学会を世界が賞賛!」「仏意仏勅の学会は世界へ発展」などといつも自画自賛ばかりしている創価学会だが、自賛とは裏腹にこれほど世間から嫌われている宗教団体はないのではないか。他にも嫌われている宗教はいくつもあるが、創価学会の嫌われ方は群を抜いている。
インターネットで検索してみると、創価学会を賛美したり擁護したりしているサイトも見られるが、批判をしているサイトが圧倒的に多い。他にも掲示板への書き込みでも質問サイトでも学会批判の投稿が圧倒的に多い。学会員の中にも創価学会を嫌っている者は少なからず存在しているから、それらを合わせれば創価学会は少なくとも日本国民の半分以上から嫌われているだろう。
ネット上で見える創価学会及び学会員を嫌っている理由をキーワードのようにして並べると次のようになる。
「傲慢」「罵詈雑言が汚すぎる」「下品」「宗教家としての品性がない」「盲信」「狂信」「恩着せがましい」「厚かましい」「押しつけがましい」「図々しい」「欲深い」「金に執着している」「勧誘がしつこい」「自分の事しか考えてない」「強引」「非常識」「攻撃的」「独善的」「カルト」等々。
学会員と接した事のある人の多くが不快感を感じているようだ。それは折伏にしても公明党への投票依頼にしても、とにかく学会員は「しつこい」「非常識」「自分の事しか考えてない」と思われているようだ。勿論、それらは全ての学会員がそうだという訳ではなく、個人差はあるだろう。ネット上で調べると、「友人や知り合いに学会員がいるが、ごく常識的な人物で、非常識で強引な勧誘はしてこない」という人の意見もある。
確かに常識的な学会員もいるのは確かだろう。だが、そのような学会員でも、いつ学会幹部からの影響で非常識な行動に出るか判らないという危険性があるのも確かだ。
創価学会は聖教新聞では「学会員は常識豊かに」とか、近頃では池田名誉会長の指導として「寛容の精神」とかを掲載しているが(名誉会長が「寛容の精神」とは笑ってしまうが)、学会活動の現場では、聖教新聞にある指導は全く無視されているか、あるいは全く知らないかのように強引で非常識な勧誘を行なうよう学会幹部からプレッシャーをかけられる事が多い。筆者が学会員だった頃、1人目を折伏達成した後に次の折伏の成果がなかなか上がらないでいた時、男子部の地区幹部が顔を合わす度に、「もう折伏は止めか?」と皮肉混じりの調子で言って来たものだ。この一言がいつもプレッシャーになっていた。このような幹部からのプレッシャーを受けながら、「常識豊か」に勧誘活動していくというのは、幹部の言う事など聞き流して我が道をゆくというタイプの人間でなければなかなか難しいだろうし、このような状況の中では、「人を救おう」という思いが入る余地などなく、とにかく自分の成果を上げる事を第一に考えてしまう事になる。故に、多くの学会活動家は自分の成果を上げて幹部から褒められようという思いから、悪質商法並みの強引な、あるいは非常識な勧誘をしてしまうのである。地区幹部もまた、担当している地区の成果が上がらないと、幹部会などで本部幹部や圏幹部などから吊るし上げを喰う事になるのであり、常に成果を上げるように幹部からプレッシャーをかけられるというのが創価学会という組織なのである。学会員が「自分の事しか考えてない」と世間から批判されるのはこの為なのである。

創価学会の功徳論について

創価学会で信心している者だけが幸福になり、学会で信心しない者は不幸になると豪語している創価学会だが、では、20代の若さで早死した池田名誉会長の次男や離婚した長男はどうなのか。創価学会流の現世利益論からすれば早死したり離婚したりするのは不幸ではないのか。次男が急死してまもなくの頃、名誉会長から「次男の死には何かの意味があるのだろう」というメッセージが会員に流されたそうだが、勿論意味はあるだろう。学会流の言い方で言えば「信心が足りなかったから」とか「創価学会では救われない」とか「罰が当たった」という意味があるのだろう。あるいは名誉会長は随分と人から恨まれるような事をしているから恨みによる呪いの結果だという見方もできるだろう。学会流の考え方で他にどういう意味があるのか。
そもそも元来の仏教はこの世は無常だから良い事も悪い事もあるのが当たり前で、良い事も長くは続かないから結局この世は苦の世界であるとし、苦しみを乗り越える方途として事物への執着から離れよと説く思想であったのであり、信心したから良い事があり、信心しないから悪い事が起きるという現世利益信仰ではなかったのである。学会部外者が不幸な目に遭うと「それは創価学会で信心してないからだ」と言っている学会員でも不幸な目に遭っているのが現実だ。それは池田名誉会長とその家族も免れる事ができないのである。故に、どの宗教を信仰しているから救われるとか救われないという事ではなく、苦しみに遭遇した時どのような気持ちで乗り越えるかという事なのである。それが本来の信仰の意義だろう。勿論、創価学会で信心する事が好きだというのなら学会で信心していけば良いのであるし、逆に創価学会が嫌いだという人は無理して学会にいる必要もない。無理して創価学会に入っていても必ず救われるという訳ではないからだ。それは他ならぬ名誉会長の長男と次男によって証明されているから確かである。
プロフィール

Author:時空無限
FC2ブログへようこそ!

人気ブログランキングに参加中
ご協力をお願いします


人気ブログランキングへ



こちらにもご協力をお願いします



最新記事
FC2カウンター
検索フォーム
月別アーカイブ
リンク
フリーエリア
カテゴリ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。