スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

創価学会の「信心の確信」は当てにならない

創価学会では「信心の確信」という言葉がよく使われる。
創価学会の信心で大功徳が得られ、大勝利する事が間違いないという自信を持つ事を「信心の確信」として使っているようで、「信心の確信を深める」とか「信心の確信を積み重ねる」「信心の確信に立つ」といった言い方をしている場合が多い。
しかし、いくら信心の確信を深めたからといっても必ずその通りになるという訳ではない。
古い話で恐縮だが、筆者の母は元々創価学会に入りたくなかったのだが、父に引きずられて入会させられたので、学会活動には嫌々ながら付いていってたのだそうだが、その母が、大B長(現在の地区部長)のS氏が家に訪問してきた時、「もう学会活動は一切しません」と宣言したのだそうだ。
するとS氏は「本当に学会活動しなくて良いんですかぁー? どうなっても知りませんよー」と脅すような言い方をしたのだそうだが、母は支部総会や記念座談会などの特別な会合以外には出なくなったそうだ。
その後、S氏は公明党議員になったのだが、間もなくして肺ガンである事が判り、闘病生活に入ったのだそうで、
それから程なくして死亡してしまったのだという。
S氏は仕事以外は殆ど学会活動しているような人物で、ろくに食事もしないで活動に出ていたのだそうだ。そういうS氏はいわゆる「信心の確信」に立っていたのだろう。しかし、信心の確信に立っていても、ガンに罹り、60代で死亡している。
こういった話は学会員の間ではよく聞く話で、「創価学会の信心にしか大功徳も崩れない幸福境涯もない!」と確信を込めて力説する学会員が早死したり事故にあったりしている例は多い。生活に困って泣きついてくるような学会員も見受けられたものである。
要するに、学会員が誇らしげに主張する「信心の確信」というものは当てにならないという事なのである。いくら信心の確信を深めたと言っても、それが創価学会が主張するような現実に反映されなければ単なるうぬぼれや自己満足の範囲でしか有り得ない。創価学会では「幸福とは単なる気持ちの問題ではなく、現実生活に実証として顕れなければ真実の幸福境涯とは言えない」と規定しているのだから、学会流の言い方なら早死したり事故に遭ったり生活に困ったりするのは真の幸福とは言えないだろう。
このS氏については「ガンで死亡したのは寿命だったからだ」と反論する学会員もいる事だろう。しかしそれを言うのなら、学会員以外の誰についても言える事で、学会員以外の人が早死にしてもそれは「寿命だった」のであり、学会員が「学会で信心しなければ不幸になる」という折伏のセリフも言えなくなるに違いない。
ちなみに、これも母に聞いた話だが、学会を脱会して日蓮正宗の信者になった人が間もなく病死した時、学会員が勝ち誇ったように「そら罰が当たった」と喜んだそうなのだが、その病死した人は80歳代になってる人で、それこそ「寿命」というものだろう。
それはともかく、「信心の確信」と言ってみても、本人がそう思い込んでいるだけの話であり、それによって創価学会が崩れない幸福を保証してくれる訳ではない。
生きる上で揺るがない自己を確立するのは重要ではあるが、間違ったものを盲信して行っても現実は不幸になるだけだ。その実証はすでに多くの学会員が実例を示してくれている。





スポンサーサイト

学会活動家のブログ

普段、めったに創価系ブログは見ないのだが、創価学会の公式サイトに選挙戦や公明党関連の記事が1つも書かれていないのを見て、では学会員個人が運営しているブログでは選挙戦について書いているのだろうかと思い、活動家と思われる学会員の個人ブログをいくつか見てみたのだが、選挙戦について書かれた記事は意外に少なかった。過去の記事で「公明党大勝利!」という記事はあったが、さすがに今回の選挙についての記事は皆無だった。
やはり、政教一致という批判をかわす為と、選挙違反になるのを避ける為の予防はしているようだ。
ある創価系ブログには、選挙運動に関する表現は十分に注意するようにとか、書き方を間違うと選挙運動と誤認され、場合によっては選挙違反、逮捕もありうるとか、エフとかの表現もあまり使わない方が良い、といったようなアドバイスが「創価系ブログ運営の注意点」として書かれてあった。
ただ、それでも学会活動家は、選挙戦は単なる選挙戦ではなく信心活動の一環であり、広宣流布の為の法戦だと思い込んでいる事に変わりはない。活動家の学会員のブログを見ると、自分達は正しい仏法を実践しているのだという思い込みがあり、良く言えば純粋、悪く言えば脳天気若しくは単細胞であり、そこを創価学会の特権階級にうまく利用され操られているという感が伝わってくる。
学会活動家は信じこんでいる間はそれなりに幸福感を得ているのかも知れないが、創価学会の正体に気づいた時、どれほどの虚しさと不幸の思いに落ち込む事であろうか。所詮人ごとではあるのだが、無駄な人生だと思わざるを得ない。





公式の教義にもない創価学会の選挙活動

創価学会の公式サイト『SOKAnet』を見てみると、選挙に関する記事や公明党に関する記事が1つもない。
政教分離を建前としているのだからそれは当然ではあるのだが、しかしここが創価学会の内情をよく知らない一般人が騙される点なのである。
創価学会の内情に疎い人であっても、創価学会と言えば「選挙戦・公明党」というキーワードを連想する事だろう。
それほど創価学会と選挙、創価学会と公明党というのは世間からも、切っても切り離せないものである事は知られているのであるが、しかし、それでも学会部外者の中には、創価学会が公明党を支援するのはあくまでも任意であり、強制される事もなく、支援したい会員だけが支援活動をしている、というようなイメージを抱いている人も多いのではないかと思われる。仮にそう思っている人が創価学会に入信し、学会活動の現場に直面したら、創価学会と公明党の一体化や当然のように公明党支援の選挙活動を強要される事に困惑する事だろう。何しろ公式サイトに一言も書かれてない事が実際には創価学会の信心活動の中心に据えられているのだから、新入信者の多くは納得できないだろう。
筆者の弟はまだ学生で未成年者だったのに、選挙活動として学会幹部から、友人の親や知人宛に公明党への投票依頼のハガキを夜遅くまで書かされた事が納得できず、また、学会内の人間関係にも不信感を抱いて学会組織から離れて行ったのだが、このように創価学会では、公式の教義にもない事を有無を言わさず強要されるという事を学会部外者は知っておく必要があるだろう。

哀れな集票活動家

この時期、学会員の活動家は盛んに友人知人に公明党への投票を頼んで回っている事だろう。本来信仰とは関係のない選挙活動なのに、多くの学会活動家は疑問も抱かず選挙活動に邁進している。中には、疑問を抱いていても学会の組織に引きずられて活動について行っている会員もいるようだ。
そうして十年一日の如く選挙活動を仏道修行だと勘違いしたまま人生を過ごしてしまうのであろう。人の勝手とは言え、愚かな生き方だと言うより他にない。ただ、本人はそれでも良いが、しつこく公明党への投票を依頼される相手にとってはこれほど迷惑な事もない。
以前、学会員だった頃、仕事も休んで選挙活動をしていた男子部員が、それが原因で職を失うという事態になっている時、それを聞いた学会幹部が「公明党が勝利したんだからそれでいいじゃないか」と切って捨てるような言い方をしていた事があったが、公明党が勝利さえすればそれを支えてきた学会員の生活がどうなろうと知った事ではない、というのが創価学会の本音なのだろう。日頃「学会員は1人ももれなく幸福に!」などと書いている聖教新聞の見出しが実に白々しく感じられる。それでも「功徳」を信じて懸命に公明党の集票活動に励んでいる学会活動家は実に哀れなものである。

プロフィール

Author:時空無限
FC2ブログへようこそ!

人気ブログランキングに参加中
ご協力をお願いします


人気ブログランキングへ



こちらにもご協力をお願いします



最新記事
FC2カウンター
検索フォーム
月別アーカイブ
リンク
フリーエリア
カテゴリ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。