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お笑い『折伏教典』

創価学会にはかつて『折伏教典』という教学書があった。新しい学会員はその存在さえ知らない人も多いと聞くが、筆者の実家にも置いてあり、筆者が1人暮らしを始めた時、(当時は学会員だったので)学会教学を勉強するつもりで持って出たのだが、その後脱会した時に捨ててしまった。今思えば、参考資料として取っておけば良かったなと後悔している所である。
その『折伏教典』の内容は殆ど忘れてしまっていたのだが、ミルさんが運営しておられる『意味のないことなんて起こらない』というブログに、『折伏教典』の内容の一部が記されているので、勝手ながら以下に記事の一部を転載させて頂いた。


( ここから転載 )
 ↓  ↓  ↓

続いて、「十界論」について。

Kさんからも説明があったが、より正確に、手元にある「折伏教典」(昭和39年版 P40~42)から抜粋しておく。

1)地獄:子供に死なれる、借金に悩む等の煩悶、懊悩(おうのう)するその苦しみを心に感じ、肉体および生活に現ずること
2)餓鬼:欲に支配された貪りの状態、満足を知らない生命
3)畜生:強い者を恐れ、弱いものをあなどる、イヌ・ネコ同様の生命に支配されること
4)修羅:心が曲がっているため、すぐにカッとなり、腹立ちの状態にみちているとき

以上が四悪道といって、これに支配されている生活には、絶対に幸せはない。

5)人界:平らかな生命の状態
6)天界:願いが叶ったときに有頂天に喜ぶ状態
7)声聞:ある理論をつかみ、理解がでてくる時に喜びを感じ、その思想をもって人生観とする状態。インテリ階級。
8)縁覚:名人じょうずの心境等。一分の理を縁によって悟った者。
9)菩薩:自分の徳性を発揮して、社会のために尽くす働きを、心や肉体に表したとき。
10)仏:われわれが信心し、折伏をするのは、永遠の生命観を証得し、ゆるがぬ幸福生活を実現することが目的であり、この状態を仏という。

よく問題視される十界論は、初刊の折伏教典(昭和26年発刊 P42~44)のもので、以下の通り。

1)地獄:不具者、病者、狂人、ルンペン、邪宗教の坊主及び信者。
2)餓鬼:下級労働者、衣類住居まではとても手が届かず、毎日毎日の生活が食を得る為に働いているような人々。アルコール患者。拝金主義者。性格異常者。
3)畜生:パンパン、不良、泥棒、スリ、その他犯罪者。
4)修羅:兵隊、警官、拳闘家、将棋、碁を職業とするような、人と争う人間。
5)人界:普通平凡に生活している市井人。
6)天界:大金持、元の皇族、貴族、一国を動かしている大政治家、経済家、偉大な軍人等々。
7)声聞:学者、研究家、学生等。
8)縁覚:大作曲家、音楽家、芸能上で一芸の奥義に達した者、何かの研究を完成した学者等。
9)菩薩:二宮尊徳の如く広く社会を利益した者。偉大な発明発見 により広く社会を利益した者。仏法を広め、衆生に救を与えた人々。
10)仏:日蓮大聖人(御本仏)、釈迦(迹仏すなわち影の仏)、天台(迹仏)、伝教大師(迹仏)等

( 以上、転載終わり )

筆者が学会員だった頃はまだ創価学会を信じていたので、このような内容の本を読んでも当たり前のように考えていたのだろうと思うが、今読み返したら、なかなか笑える内容である。
昭和39年版の場合、地獄の例として書いてある内容は、一生懸命学会活動している学会員にも見受けられるし、餓鬼・畜生・修羅は池田名誉会長及び創価学会の事を書いてるのかと思ったほどである。
また、昭和26年版には差別用語や下品な表現も羅列されているが、こんな事を書いている者の品性の下劣さが窺える内容になっていて面白い。宗教書と言うよりお笑い本と言った方がいいだろう。
こんな面白い本が現在発行されていないのが残念だが、創価学会もさすがにこの本を学会員にも外部にも見せられないと思っていて、この本は存在しなかった事にしているようだ。
自信満々の調子で書いている内容であるだけに、そのうぬぼれぶりも笑える内容であった。


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創価学会におけるマインドコントロールの手法

創価学会の会合・集会というのはハイテンションな雰囲気が特徴的であるが、ハイテンションな雰囲気によって信者を躁状態にして思考停止状態にし、マインドコントロールして盲従させるというのがカルト一般に見られる手法である。同じくカルトの法の華三法行でも「最高ですかー!」と教祖が叫び、信者達が「最高です!」と叫んで応える事によってハイテンションな雰囲気作りをしていたものであった。
創価学会の場合は幹部が信者の感情に対して訴えかけるように喚き叫び、信者にも元気よく大きな声を出させ、特に青年部の場合は少しでも元気がないと「元気がない!」と幹部が一喝するという体育会系のノリでハイテンションにさせていたものだった。更には、皆で早口の題目を唱えさせたり、軍歌調の学会歌で士気を鼓舞してテンションを上げている。
大きな声を出したりスピードを速めたり勇ましくする事によってテンションは上がるものであり、テンションが上がると冷静に考える事ができにくくなり、よりマインドコントロールしやすくなるという訳だ。
ちなみに、筆者は学会歌を歌うのも指揮を執らされるのも好きではなかった。学会歌の中で気に入ってたのは『森ヶ崎海岸』くらいのものであったし、学会歌の指揮は指名されれば指揮を執ったが、掛け声を掛けながら腕を振り回す指揮が苦手だった。
少し前に、元学会員のとあるブログで「学会歌の指揮を執らされるのが苦手だった」という記事を見て、自分と同じ思いをしていた人がいたんだなと思い、ほっとした気分になった事がある。
それはともかく、増谷文雄氏によれば、「理性的人間が理性的人間に対して語りかける」のが元々の仏教(釈尊の説法)のあり方であったそうだが、創価学会にはこの理性的なものが一片もないのが特徴なのである。それがカルトの特徴だからであるし、創価学会にとって信者に冷静に考えられては困るからである。

戯画としての創価学会

創価学会を脱会して改めて外から見てみると、創価学会という所は正に戯画そのものであると感じる。戯画であり、漫画である。筆者が学会員だった頃、創価学会こそ最高の存在だと信じ、学会以外のものを事ある毎に「マンガ、マンガー!」と言っては上から目線で馬鹿にしていた地区幹部がいたが、創価学会こそ「マンガ、マンガー!」である。
創価学会の起こした事件や不祥事・スキャンダルにしても、聖教新聞等に載っている自画自賛にしても、世界から集めた名誉称号を自慢気に見せびらかしている記事にしても、対立者への罵詈雑言にしても、学会幹部の指導にしても、盲信・狂信の信者の言動にしても、実に滑稽であり戯画であり漫画である。実に面白い。創価学会の内側にいる間は気づかないが、外へ出て初めて気づくものである。
そう言えば、創価学会から『外から見た創価学会』という本が出版されているが、その本の中で学会を外から見て称賛していた外部の有識者も、口先では学会を褒めちぎってはいるが内心では戯画としての創価学会に気づいていて馬鹿にしていたのかも知れない。あるいは世の中には世間知らずの学者バカというタイプの有識者もいるようだから、本気で創価学会を素晴らしいと思い込んでいるのかも知れないが、そのような外部の礼賛者も含めて創価学会という所は戯画そのものである。

カルトから抜け出せない学会員の心理-補足

前回の記事で漏れている点があったので補足しておきたい。
創価学会から抜け出せない学会員のタイプとしては他に創価学会が大好きだという会員がいる。
傍から見ていると功徳らしい功徳もなく、それどころか、学会で信心していても学会活動の為に却って悲惨な人生としか言いようが生活をしているのに、学会活動を嬉々として続けている学会員が見受けられる(特に婦人部員に多い)が、このような学会員はたとえ実際に功徳らしい功徳がなくても、創価学会が大好きであり、池田名誉会長が大好きであり、学会の会合のハイテンションな雰囲気が好きでたまらないのだろうと思う。だからどんなに創価学会が世間から非難されようとも、学会から抜け出す気がないのであろう。
筆者の実家がある地域には、会合に出てこない母の為に、毎月熱心に家庭訪問してくる老婦人部員が4人ほどいるのだそうだが、その4人とも創価学会に入信後に夫がアルコール中毒に罹った事が共通しており(それぞれアルコール中毒が原因で病死したり酔って事故死したり現在病気中であったりしている)、学会2世の子供達はそれぞれ他所の地域に住んでいるのだそうだが、創価学会を嫌っていて実家に寄り付かないのだという。夫がアルコール中毒に罹ったのも、これら婦人部員達が学会活動に熱心な余り家庭を顧みなくなった事への不満から酒に深入りしていった為だと思う。
このように、創価学会で熱心に信心していても、功徳らしい功徳もなく家庭も一家和楽とは言えない状況が続いているのに嬉々として学会活動しているのは、ひとえに創価学会が大好きだからだろう。好きでもないのに、ただ功徳を信じていつまでもいつまでも学会活動を続けるというのは苦痛でしかないはずだ。好きでなければ出来ない事だ。そういう意味では、功徳の実証も得られてないのにいつまでも創価学会の信心を続けているのは「素晴らしい信仰心だ」と称賛されるべき事なのかも知れないが、ただ、このような学会員は仏壇の前で勤行・唱題しているだけの信心ではなく、折伏や新聞啓蒙や選挙での公明党の集票活動と積極的に学会活動に励んで創価学会の勢力拡大の一翼を担っている活動家達であり、カルトの手助けをしている信者達なのだから、「素晴らしい信仰心だ」と称賛ばかりもしていられない。
このような実生活が思うようにならない学会員は、創価学会の会合や活動に参加する事によって活き活きとしてくるのだろうし、生きる意欲が湧いてくるのかも知れない。その為に学会の組織から抜け出せないのだろう。
そういう意味では、このタイプの学会員にとって創価学会は麻薬のような存在なのかも知れない。
しかし、これもまた一般人からすれば、理解し難い事ではあるだろう。



カルトから抜け出せない学会員の心理

創価学会がカルトである事は論を俟たないが、その創価学会にまだ数多くの学会員が留まっている事を不思議に思う人も多いだろう。学会を辞めたくても脅しや圧力で辞められないという会員は別にしても、未だに創価学会を正しい宗教だとか学会の組織を離れると罰が当たるという事を本気で信じている会員もいるのであり、このような学会員の心理は一般人には理解し難いだろうと思う。勿論、このような創価学会を絶対的存在として信じ込んでいる信者は盲信者や狂信者ではあるのだが、それらはいくつかのタイプに分かれるようだ。
1つ目のタイプは、創価学会の信心で救われたとか功徳の現象が出たと思い込んでいる学会員だ。身近な例で言えば筆者の伯父(母の兄)がこのタイプになる。伯父は若い頃、腎臓結石になり、働けない状態が長く続いていたそうで、そういう病苦に悩んでいた頃に折伏を受けて創価学会で信心をするようになったのであり、その後症状が出なくなったので、学会の信心で腎臓結石が治ったと信じて疑わなくなったようだ。
このタイプの信者は、学会の信心によって病気が治るなど困難な状況が改善されたと思い込んでいるから、たとえ創価学会が疑惑を招くような事をしでかそうとも世間からどんなに非難されようとも学会から離れる事もなく、信じ続けてゆく場合が多い。学会によって救われたという体験(思い込みであるにしても)があるから、盲信者・狂信者の中では最も信じる事にブレがないタイプだと言える。
伯父の場合、長く学会の信心を続けているが、学会教学についてはよく解っていないようで、とにかく病気を治したい一心から学会の信心を始めた訳で、創価学会でなくても、信じられるものなら何でも良かったのだろうと思う。極端な話、「イワシの頭を信じれば病気が治る」と言われればイワシの頭を信じてそれで病気が治っただろうと思う。結局は病気を治したいという伯父の一念の為せるワザであり、信じる対象は創価学会でなければならないという必然性はなかったと言える。その証拠に、伯父はその後も学会の信心を熱心に続けていったのだが、その後の人生はとても「功徳溢れる人生」とは言えず、同じ学会員と結婚しても夫婦仲は良くなくて、全財産を学会に貢いだのに、学会が言う所の「これで一生楽な生活ができる」という訳にはいかず随分生活には苦しんできたようだ。
それでも伯父は創価学会によって救われたと今でも思い込んでいるので、学会から離れる事は夢にも思ってないようだ。それに、このタイプの信者は、学会で救われたと信じて疑わないから、今は人生が悪くても、そのうちまた信心の功徳によって救われると期待している者が多い。その為、なかなか学会の組織から抜けられないのである。ギャンブルで1度勝った者が、その後負け続けても、そのうちまた大きく勝てると期待してなかなかギャンブルを止められないのと同じようなものなのだろう。

次に創価学会から抜けられない2つ目のタイプとしては、創価学会を信じる心が揺らいで疑念を抱くようになっても、今まで創価学会の内外に向かって「創価学会こそ絶対正しい」とか「創価学会を辞めたら地獄に堕ちる」などと言ってきた手前、意地でも学会を辞められないという学会員だ。このような学会員はもう意地だけで学会にしがみついてるようなもので、信仰心ではなく、脱会者や学会批判者への敵愾心によって学会活動をしているという場合が多い。筆者が以前所属していた地区の地区部長がこのタイプで、筆者は脱会後数年経った頃、偶然顔を合わせて話をした事があったが、その時その地区部長は「学会の選挙活動はあそこまでやる必要はないと思ってる」と本音を漏らしていたものだった。そのように学会に対して疑念を持ってはいたようだが、結局「創価学会こそ正しい宗教だ」とか「創価学会で信心しなければ福運は積めない」とか挙句の果てに「それに学会活動は楽しいぞ。だからまた学会に戻ってこいよ」などと負け惜しみを言っていたものであった。
このタイプも意地で学会の組織に留まっているから、学会から抜けるのは難しいと思う。

次に3つ目のタイプになるのが、創価学会に疑念を抱いていても、「もう引き返せない」という心境になり学会から抜け出せなくなるという学会員である。これはチョンガー氏が運営しておられる『創価学会に悩むすべての人へ』というブログに書かれてあるのだが、時間も金銭も人間関係をも犠牲にして学会活動に打ち込んできた学会員は、そこで創価学会に疑念を抱いたとしても、「もう、戻れない」という気持ちになり、そのまま学会活動に突き進んで行き、学会の組織の中で生き続けてゆくというのである。確かにそういう学会員もいるのだろう。

以上の他にも学会から抜けられないタイプはあるとは思うが、以上の3つのタイプが特に大きな存在だと思える。
いずれにしても、創価学会に留まっていて損をするのは自分達であるという事に気付かないとは愚かな事である。

聖教新聞テレビCM新バージョン登場

テレビで「世界陸上」を見ていたら、聖教新聞の新バージョンCMが出ていた。
新CMは2つのバージョンがあり、どちらもドラマ仕立てになっている。内容としてはうまく作られていると思えるのだが、しかし、せっかく良い内容のCMなのに、最後に「聖教新聞」と出てきて台無しだ!

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時空無限

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