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信心するのは何の為

創価学会の活動家は、ニンジンを目の前にぶら下げられムチで打たれてひた走る競走馬に譬えられる。功徳というニンジンを目指し学会幹部から叱咤激励(別の言い方をすれば罵倒)されるというムチを受けながら、学会活動家は振り返ることもなくひたすら走り続けているのだが、ゴールに到達する者は殆どいない。競走馬はゴールに達してニンジンを食べる事ができるが、学会活動家にはゴールはなく走り続けなければならず、結局功徳というニンジンを食べられないまま人生を終わってしまう事になる。哀れである。
それでもそういう生き方に満足し、そういう生き方に幸福を感じている者はまだ良いだろう。それで幸福だと思っているのなら、それはその人の人生観であるのだから、他からとやかく言う必要はない事だ。しかし、そのような人生は創価学会での活動に矛盾と疑問を感じながらついて行っている活動家にとってはただ苦痛でしかないだろう。そういう学会員こそ不幸な人生というべきだろう。
与えられた環境に諦めて生きるというのも1つの人生観かも知れないが(学会員の中には学会活動に納得できなくても創価学会の言う事を正法だから仕方ないと諦めている者もいるようだ)、創価学会は別に正法でもなく宇宙の法則でもなく、単に人間が勝手に作った組織に過ぎないのだから、そのようなものを絶対視する必要はないのだし、そのような真理でもないものに自分の人生を縛り付けられる義務もない。「創価学会こそ仏意仏勅の団体」とは学会が勝手に言ってるだけで何の根拠もないのであり、真理でも正法でもないのだから、学会を辞めても罰など当たらないのは当然だ(実際、筆者は学会を辞めても罰など当たらなかった。それにそもそも創価学会には熱心に信心活動していても功徳と呼べるようなものは出て来ないで悪い事しか出てこない者の方が多い)。
「信心は何の為にするのか、それは人間革命して幸福になる為だ」と学会幹部は指導するだろう。しかし、学会活動に追い立てられている活動家には何の為に信心活動しているのか判らなくなっている者が多い。池田名誉会長や学会組織の為に信心活動し自分も家庭も犠牲にして苦悩する結果に終わっている。そこに気づかないまま活動家は創価学会にどこまでもついて行くのだろう。
創価学会に関わらずに幸福に生きている人々は世の中にいくらでもいるのに、学会活動に苦しみながら「創価学会にしか幸福はない」と思い込んでいる学会員には、「気が済むまで学会活動に邁進してくれたまえ」と言うしかない。
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面白い創価系ブログをもう1つご紹介

ネット検索していたら、また1つ面白い創価系ブログを見つけたのでご紹介しておきたい。
Side-3』というブログで、創価学会での信心を否定はしていないようだが、学会組織や学会幹部に不信感を抱いていてそれらを否定する発言が書かれてある。
創価学会での信心を否定しない点には同意できないが、学会組織や学会幹部への批評は的を射ていると思えるし、共鳴できるものである。
ひとくちに学会員といってもいくつかのタイプや考え方の会員がいると思うが、このような創価学会を批判的に捉える会員がもっと増えれば今よりはまだましな集団になるのかも知れない。ただ、創価学会にそれを期待するのは無理があるとは思うが。


創価系ブログの例外

創価系ブログといえば、池田名誉会長や創価学会を無条件に信じ込んでいる盲信者が運営していて、ただ学会賛美ばかりしているブログが大多数だと思うが、中には例外の創価系ブログもあるようだ。
その数少ない例外の1つに『Soka Sakura:そうかさくら』というブログがある。ご存知の方も多いかと思うが、創価学会における疑問点や矛盾点に対して批判をしている文章が共鳴できる内容のブログである。
創価学会の矛盾点に批判をしているのなら内部アンチブログではないかと思う人もいるかも知れないが、創価学会を否定しているのが内部アンチとするなら、そのブログでは創価学会を全否定している訳ではなく、創価学会の理想像というものを持っていて、その理想像に対して現実の創価学会組織や学会幹部や学会員に矛盾や疑問を抱き、それを批判しているという内容なので、内部アンチではないという印象を受ける。
しかし内部アンチではないが、その創価学会組織や学会員への批判は反創価の立場からの意見のように共感を覚えるし、共鳴できるものである。
もう1つ共感を覚えた創価系ブログとして『【桜梅桃李】:世界に一冊のメモ帳』も紹介しておきたい。これも「よく言ってくれた」と思える内容があり、共鳴する部分も多かった。
ただ、これらのブログは創価系ブログとしては異分子扱いを受けるのだろうし、創価学会の盲信者・狂信者からは受け入れられない部類にされるのだろうと思う。


創価学会と海外SGIの違い

世界192カ国・地域に1200万人以上のメンバーを擁すると誇る創価学会インターナショナル(SGI)だが、筆者は学会員だった頃からその実情はよく判らなかった。アメリカのミュージシャン(ハービー・ハンコックやウェイン・ショーターやティナ・ターナーなど)もSGIのメンバーだという事は知っていたが、日本の学会員と同じような学会活動をしてるのかなとか、公明党は日本にしかないから、海外メンバーには選挙活動はないんだろうなとかそういう程度の事しか考えてなかったものだ。現在でもインターネットの創価学会公式サイト(SOKAnet)でSGIを見ても、具体的な内容が書いてないのでよく判らないでいたが、個人運営の創価アンチブログや内部アンチブログに書かれてあるSGIに関する記事によって内情が判ってきたところである。
前々から創価学会のようなカルトに少数とは言え海外の有名なミュージシャンや映画俳優やスポーツ選手が入ってるのが不思議ではあったのだが、そもそも日本の創価学会と海外のSGIではその内容に大きな違いがあるというのが判ってきた。まず組織のあり方として、同じSGIでもそれぞれの国によって違いはあるが、アメリカやカナダ、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドなどは日本のような中央集権的・全体主義的・独裁的ではなく、もっと民主的で、選挙活動は勿論、聖教新聞の営業活動も強引な折伏も、幹部が怒鳴り散らす軍隊式の指導もなく、かなり自由な雰囲気である事がそれらのサイトでの情報で判った。
そもそも、海外では日本の聖教新聞の記事がそのまま翻訳されて配布されている訳ではなく、アメリカSGIの場合はワールド・トリビューン(アメリカ版聖教新聞・週刊誌)が購読されていて、当然、日本の聖教新聞のような敵対者に対する罵詈雑言記事や汚い言葉などは掲載してないようだ。確かに、日本の聖教新聞に書いてあるそのままの記事をハービー・ハンコックやバッジョやオーランド・ブルームらが読んだら、すぐに脱会してしまうだろう。
つまり、日本の創価学会と海外の創価学会(インターナショナル)は同じ内容・構造ではないという事であり、SGIの著名な会員達も、創価学会の実態を知らないのだろうと思われる。著名人でなくても、海外に長く住んでいて、SGIの組織で学会活動していた日本人会員でも、日本に帰国して日本で学会の組織に入ってみて、日本と海外の学会の違いに驚いているという事が、とあるブログに書かれていたものだ。
だから、SGIに著名人が入会しているからといって、それで創価学会自体が評価される事にはならないのは言うまでもない。特に西洋の芸術家などはビートルズなどの例にあるように東洋思想に憧れる傾向にあり、ハービー・ハンコックなども創価学会の実態を知らぬまま、仏教を学ぶという事と仏法を基調とした平和・文化・教育運動への共感からSGIに入会したものと思われる。
それに注意しなければならないのは、ハービー・ハンコックなど著名なSGI会員はSGIに入会してからそれぞれの分野で成功したという訳ではなく、入会する以前からすでに成功者だったという事だ。SGIでの信心のおかげで成功した訳ではないという事を忘れてはならない。

ちなみに、筆者はアルバム『ヘッドハンターズ』を聴いてハービー・ハンコックのファンになったし、ウェイン・ショーターはウェザー・リポート時代からのファンであっただけに、この2人がいつまでもカルトの広告塔として利用されている事が我慢ならない心境である。早く創価学会の実態に気づいてもらいたいと思うばかりである。

  

なお、海外のSGIについては、ねまさんが運営されているブログ『創価学会と家族問題を考える』と、華さんが運営されているブログ『妻はアンチ、夫はバリバリ。』の記事も参考にさせて頂きました。お礼申し上げます。

学会活動に生き切った結果

創価学会はいつも、学会組織から離れず学会活動に生き切ればバラ色の未来が待っているような事ばかり会員に吹き込んでいるが、その検証は古くからの学会活動家の現在を見れば一目瞭然に判る事だ。
筆者の実家の地域には、昔から学会活動に熱心に打ち込んできた老会員達がいる。戦後復興から高度経済成長期に渡る時代にあって、現世利益による豊かさの享受を強調して折伏活動に公明党支援の選挙活動にと挺身してきた活動家達であり、創価学会の言う通りなら、今頃はその功徳によって、何不自由のない生活と高い精神的境涯によって地域の人々からも尊敬され、盤石の人生航路となっているはずなのであるが、実家の親から聞く話によると、実際はそのような人物は皆無に近い状態のようだ。
まず、筆者の伯父は以前の記事にも書いた通りで、若い頃に患った腎臓結石が治ったという功徳以後は夫婦仲も悪く生活も不自由なままで、全くと言っていいほど功徳の実証が顕れていない。
また、筆者の親と親しくしているS氏夫妻は若い頃から夫婦で折伏活動の実践に励み、当人云わく「面白いほど折伏できた」そうで、常に折伏成果を誇ってきたのだそうだ。何しろ当時は何よりも経済的豊かさが求められていた時期であっただけに、創価学会が強調する現世利益論に引き込まれる人々も多かったから入信者も多かったのだろう。これも創価学会の言う通りなら、その折伏の功徳により今頃は誰からも尊敬され羨まれる境涯になっているはずだが、夫人は体の至る所に不調を訴え病院通いで、常に健康への不安を筆者の母に愚痴っているのだそうだ。また、夫のS氏は、隣家に住む認知症になりかけと思われる1人暮らしの老婦人(非学会員)宅の屋根を修理してやったのだそうで、そこまでは良いのだが、相手が認知症であるのをいいことに通常よりも法外な修理費を請求して受け取ったのだそうだ。それを遠くに住む老婦人の娘夫婦が聞きつけて(その老婦人が電話で娘に事の顛末を喋ったのだろう)、そこへ夫婦でやってきて、修理費をだまし取られたから返せと言ってきてS氏夫妻と揉めているのだという。
また、学会葬における儀典長をしているM氏も創価学会一筋の人生を生きてきた人物なのだそうだが、もう15年以上も前から家庭内別居中なのだという。
それ以外にも、以前に記事にも書いたが、あまりに熱烈に題目を唱え過ぎた為に頭がおかしくなったのか、本尊から化物が現われたと言って本尊を切ってしまい学会を除名された元学会員の老人もいる。
筆者の実家近くの古くからの学会活動家に限って見てみても、学会活動の実践に生き切った結果功徳の花が咲き誇っているという学会員は皆無の状態である。
「人生とはそんなものだ。一般世間の連中も同じようなものだろう。学会員といっても人生に何も悪い事がない状態になるというのが功徳ではなく、悪い事が起きても悠々と乗り越えて行ける事が功徳だ」と反論する学会員もいるかも知れないが、それは詭弁というものだ。熱心に学会活動してもその結果が一般世間と変わらないのなら無理してそれを実践する必要もないという事になる。
実際、学会活動一筋に生きてきた結果がこれでは割に合わないのではないだろうか。しかも、老後になっても学会活動を続けなければならないとなれば気が滅入って来るのではないだろうか。
学会活動をする事自体が趣味のようなもので結果がどうであれ、それ自体が楽しいというのなら別に構わないが、好きでもないのに無理して学会活動している学会員にとってはこれほど無駄なものはないだろう。
このように、古くから学会活動を実践してきた活動家の生き様を見てみれば創価学会の主張の真偽が判るというものだ。もう答えは出ていると言ってよいだろう。

面白い内部アンチブログのご紹介

創価学会内部アンチの立場から書かれた面白いブログを見つけたのでご紹介しておきたい。
創価学会の矛盾点』というブログで、日本ブログ村の創価学会カテゴリーランキングで現在38位(仏教カテゴリーで91位)に入っているので、ご存知の方も多いかも知れない。
綺麗事ばかり言っている創価学会の実際の中身がよく判る内容で、なかなか面白い。
ただ、2010年6月21日付の記事以後は更新されていないのが残念だ。

顕正会の手本は創価学会

今日テレビで、顕正会の信者が強引な勧誘を行なったとして強要と暴力行為法違反の疑いで、警視庁公安部が顕正会の本部と会館を家宅捜索したというニュースを見た。近頃、顕正会の強引な折伏が問題になっているようだ。
筆者の自宅にも2度、顕正会の機関紙『顕正新聞』が入っていた事があったが、内容を見てみると、個人の人生の問題も異常気象も自然災害も社会の問題も全て顕正会の教えに帰依しないからであり、帰依しなければ日本は必ず滅びるという、何とも大雑把な主張が展開されていて、バカバカしく思ったものであった。
創価学会も顕正会も元は日蓮正宗の信徒団体であっただけに互いにライバル視しているようだが、思えば、現在顕正会が問題を起こしている暴力的で強引な折伏方法は、かつて創価学会が特に戦後から昭和40年代初め頃まで行なってきた事である。そういう意味で顕正会の強引な折伏は創価学会が手本になっていると言って良いだろう。
いずれにしても、創価学会も顕正会も同じ穴のムジナのカルトである事に違いはない。

学会活動の効用とは

デール・カーネギーの世界的ベストセラー『道は開ける』は悩みを解決する為のハウツー本で、筆者もこれまで何度か読んだ事があるが、この本の中の「心の中から悩みを追い出すには」という章に、チャーチルの「私は忙しすぎる。悩んだりする暇がない」という言葉を引用して、「忙しい状態でいること。悩みをかかえた人間は、絶望感に打ち負けないために、身を粉にして活動しなければならない」という事を、悩みの習慣を断ち切る第一の鉄則に掲げている。確かに、済んでしまった事や考えてもどうにもならない悩みに対してはこの考え方は有効な方法だと言える。
そこで思ったのだが、創価学会で信心する効用とは、結局学会活動で忙しくさせて悩みを忘れるという事に尽きるだろうという事だ。
創価学会では盛んに功徳の体験談を宣伝しているが、聖教新聞に掲載されているようなドラマチックな体験談は実際には体験できないし、周囲にもそのような体験者はなかなか見当たらないのが現実だ。それよりも、創価学会で信心する効用は、忙しい学会活動で悩みを紛らせて忘れるという事しかないだろう。学会活動に没頭する事によってどうする事もできない悩みを忘れて苦悩を克服してゆく。そういう意味でなら、創価学会での信心にもそれなりに効用があるだろう。しかし、悩みを忘れる為に忙しくさせるのなら別に学会活動でなくても構わないし、それよりも何よりも、悩みを忘れる為に学会活動に没頭するのはリスクが高すぎる。悩みを忘れるつもりで始めた学会活動なのに、その創価学会で新たに苦悩する事になるからだ。
カーネギーの本では、2人の子供に死なれた父親が、その悲しみと苦悩を忘れる為に自宅の修理するべき箇所を次々に修理してゆき、それが終わったら、市民活動に参加したり教育委員会の議長を務めたりして「多忙なおかげで、悩んだりする暇がない」生活になり、活気に満ちた生活を送れるようになったという実例を引いているが、そのような事なら何らリスクはないのだが、創価学会の活動に没頭すると家庭も人生も壊されかねない事になり、悩みを忘れるどころか新たな苦悩が生じる事になるだろう。これでは学会活動しても割に合わないという事になる。

拠点会場における創価学会の非常識-補足

少し前に、会合の会場での学会員の非常識さについて記事を書いたが、先月8月26日付聖教新聞の「座談会・輝く創価の師弟城」シリーズの紙面に、「個人会場の使用ルールを厳守」という大見出しで、会合に提供されている個人会場での使用ルールについての注意事項が掲載されていた。
そこには、
「①時間厳守
②会場周辺での私語の厳禁
③禁煙の徹底
④迷惑駐輪・駐車をしない
⑤清掃、整理整頓
⑥照明や冷暖房の節電意識
など、マナーを守り、決められたルールに従って利用する」
「まずはリーダーから率先して、会場利用のルールを厳守し、皆で「広布の宝城」を守っていきましょう」
などといった事が書かれてあったが、創価学会では、聖教新聞等の機関紙に注意事項が書かれている時は、まさにその問題が現在起こっている事を示している。先月下旬に個人会場の使用ルールを厳守せよという記事が書かれてあったという事は、未だに使用ルールを守らない非常識な学会員が絶えないという事なのだろう。
そう言えば、数年前、聖教新聞に学会員間の金銭トラブルについての注意事項が書かれてあったが、あれなども、学会員同士の金銭貸借や保証人問題でのトラブルが絶えないから、あのような注意事項が書かれたという訳なのだろう。
ちなみに、質問サイトでの解答欄に、聖教新聞の「寸鉄」から引用した注意事項が書かれてあった。
以下にその解答欄の記事を転載させて頂いた。

( 転載ここから )
 ↓ ↓ ↓

聖教新聞「寸鉄」より
会館の使用はルールを守れ。感謝のない、わが物顔の幹部は皆で叱咤せよ。
会館や拠点周辺での迷惑駐車は厳禁。良識の振る舞いなくして信頼なし!
会館や拠点近くで、車やバイクの騒音に注意を!信頼なくして広布なし。
会場周辺での立ち話や喫煙は厳禁!近隣の信頼こそ、広宣流布の基本だ。
「会場提供者」の皆様に感謝!マナー(礼儀)、清掃、近隣に配慮。宝城を皆で守れ。
会館周辺の立ち話・喫煙・路上駐車は厳禁。広布は良識の振る舞いから。
会場近くの駐輸・駐車・喫煙・私語は近隣の迷惑。大切な宝城を皆で護(まも)ろう
会館周辺で立ち話や喫煙は厳禁!良識の振る舞いこそ地域に信頼広げる。
会館・会場周辺のマナーを守れ。私語・喫煙・駐車は厳禁。良識の振舞(ふるまい)たれ。
会館使用のマナーを厳守 尊い同志の宝城だ。喫煙・駐輸・立ち話など戒めて。
会館周辺での路上駐車も立ち話・喫煙も厳禁だ。良識と信頼が広布城の礎(いしずえ)
会館周辺の立ち話・喫煙・路上駐車・駐輪は厳禁だ。近隣を大切に。賢明たれ。
会館周辺のマナー厳守!私語や喫煙、路上の駐車駐輪は厳禁。仏法は良識。
会館近隣のマナーを守れ 私語・喫煙・路上駐車は厳禁。信心は即 良識だ。
会館周辺のマナーを厳守 立ち話・路上駐車・喫煙は厳禁。学会の信用壊すな。
会館周辺で立ち話や喫煙は厳禁だ。誠実で築いた信頼友好の城を皆で守れ
会館近隣を大切に。私語・喫煙・路上駐車は厳禁だ。地域の信頼こそ広布の証(あかし)
会館・会場周辺のマナーを厳守。立ち話・喫煙は厳禁だ。皆の宝城を厳護。
会館・会場の近隣を大切に。私語・喫煙・路上駐車は厳禁。信用を壊すな。
会場使用の礼儀(マナー)を再確認 (1)感謝(2)時間厳守(3)立ち話厳禁(4)駐輪駐車に注意
会館周辺での立ち話・喫煙・違法駐車は絶対厳禁。正義の闘争を良識豊かに
ーーーーーーーーーーーーーー


これは 創価学会に「苦情」がきて
いつまでも解決できぬことに 学会側は困っている。

普通大人が「やったらだめ」と言われたら 一回でわかるはずなんですが
改善できないということです。
迷惑行為しなくなったら 創価学会ではないということです。

( 転載ここまで )

(参考サイトURL→ http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1449956834

この質問サイトの記事は2010年11月のものであるが、何度も注意事項が書かれるほどだから現在でも状況は変わらないのだろう。何しろ、創価学会のトップがトップなだけに、末端の会員にも非常識さが抜けない者が多いのだろう。

口先だけの平和に幸福は生まれない

9月3日付聖教新聞第6面に、世界桂冠詩人・山本伸一こと池田名誉会長による詩『平和を! 平和を! そこに幸福が生まれる』の抜粋が掲載されていた。
その一部に以下の部分がある。

「いじめを許さないことも平和の戦いである。
差別を許さないことも平和の戦いである。
嘘の悪口を許さないことも平和の戦いである。
権力者を威張らせないことも平和の戦いである。
いかなる暴力も絶対に許さない。
これこそ平和の戦いである。」

してみると、創価学会は平和の戦いをする気はないという事だ。何しろ創価学会では脱会者いじめが許されているし、特権階級による一般会員に対する差別も許されているし、嘘の悪口も言い放題だし、権力者の池田名誉会長が威張っている事も許されているし、言葉の暴力なども許されているし。
「平和を! 平和を!」と口先だけ言っていても創価学会自体が平和ではない。
何しろ「闘争せよ!」といつも信者を煽っているのだから、これでは信者の心に平和はない。

拠点会場における創価学会の非常識

木花さんが運営しておられる『木花のブログ』に、自宅を拠点(会合の会場)にしている学会員の家族が受ける迷惑について記事を書かれていた。筆者もそこにコメントを書き込ませてもらったが、このブログでもその件について記事を書いておきたい。 
創価学会の拠点など会合の会場は殆どの場合、学会員の自宅が提供される。自宅を拠点や会合の為に提供するのは多くの場合熱心な会員だが、創価学会を嫌っていたり熱心ではない同居の家族にとってはこれほど迷惑な事はない。
筆者の実家は拠点ではなかったが、時々自宅が会合に使われていた。両親はあまり熱心ではなかったので、拠点として使わせてもらうよう頼まれても断っていたのだが、それでも幹部に説得されて時々会合の会場に使わせていた。狭い家なのにたくさんの信者が入ってきて嫌な思いをしたものである(当時は学会の勢力拡大がピークの頃で、実家のある田舎でもまだ信者は多かった)。特に、会合が終わってもすぐに帰らず遅くまで居残っている信者達には迷惑したものである。創価学会には、会合が終わった後遅くまで居残るのがどれだけ会場提供している家族に迷惑をかけているかという事に配慮しない幹部が多かった。
筆者が学会活動を始めた頃(その頃は実家を出ていた)、他人の家にいると気分が落ち着かない性分なので会合が終わったらすぐ帰っていたのだが、役職を付けられてからも会合終了と同時に帰ろうとしていたら、地区幹部の1人が「お、もう帰るのか?」と皮肉な調子で言ってきた。何だかすぐ帰るのは信心が足りないかのような口ぶりで言うので、それ以来、会合が終了してもすぐには帰らず、他の居残っている会員達が帰り始めるまで、くだらない話を聞いたりしていたものである。
例えば、地区座談会などが終わった後、すぐ帰るのは女子部で、その後、婦人部のおばさん達が、連絡事項なのか世間話なのかよく判らないがしばらく喋り合った後帰って行き、最後まで居残っているのが男子部と壮年部の幹部や活動家という事が多かった。この時、会場提供している信者は口にこそ出さなかったが、内心では「早く帰ってくれ」と思っていただろうと思う。
本来なら、幹部は会合が終わったらすぐ帰るように促すくらいの配慮をすべきなのに、会合が終わっても遅くまで居残り、のみならず、早く帰ろうとする活動家に対しては信心が足りないかのような口ぶりで帰りづらい雰囲気にしていて、全く常識というものがなかった。他人の家なのに自分の家のように思っていたのだろう。
現在の創価学会ではどうか知らないが、同じ学会の同志なのだから拠点や会場提供した家には遅くまで居残っても当たり前というような非常識さがあったのがこれまでの創価学会だった。他人や近所の事に配慮しない、自分達さえ良ければそれで良いという創価学会の体質がよく表されていたものであった。

宗教界のブラック企業=創価学会

近年、ブラック企業と呼ばれる悪質な会社が増えているという。まともに給与を支払わず社員を徹底的にこき使って使い捨てる企業の事をそう呼ぶそうだが、そこで思ったのは、創価学会などは差し詰め宗教界のブラック企業と言える存在だろうという事だ。宗教を装ってはいるが、その実態は営利企業そのものであるし、聖教新聞の営業活動や選挙活動など本来信仰とは無関係な事に「信心」の名目を付けては信者をタダで徹底的にこき使い、その上収奪まで行なっている有り様は悪質なブラック企業そのままである。
このような組織で活動していて幸福になれる訳はなく、幹部から言われるままに真面目に活動している信者ほど精神や体に何らかの障害を受けているようだ。もし幸福だと言う信者がいるとすれば、よほど鈍感な人間ぐらいのものだろう。創価学会では信者は使い捨てられる存在だという事を知るべきだ。


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