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孤独を恐れる創価学会

創価学会は事ある毎に孤独を不幸であるかのように決めつけたり、悪であるかのように決めつけているが、それは創価学会が信者を組織の歯車として利用したいからである。創価学会は、信者が矛盾や疑問を抱き学会組織から離れていく事を最も恐れている。それを防ぐ為に会合を頻繁に行ない、活動に駆り出して忙しくさせ、考える余裕を与えないようにしているのだ。そうしてマインドコントロールしているのであるが、その為には常に信者を学会組織に密着させておかなければならないからである。その理由付けとして孤独がいかに不幸であるかという事をことさらに強調し、そしていかに集団の中で大勢の仲間が必要であるかという事を強調している訳である。
齋藤孝氏の著書に『孤独のチカラ』という本がある。少し長くなるが、その核心の部分を以下に引用しておきたい。

[ 現代人は孤独を非常に恐れる。その反動なのか、<友達がいないと不安だ症候群>とでも言いたいほど、人とつるみたがる。実際、「友達がいない」と言うと、ほとんど人格破壊者のように扱われる世の中である。友達がいない状態があまりに怖いために、本来つき合わなくてもいい相手とずっとつき合ってしまう人は多いのではないか。それが居心地がいいというなら、それも一つの生き方だ。だが、本心では満足していないのに、一人でいることの意味をポジティブにとらえることができなくて不本意な時間を過ごしているなら、その膨大な無為は人生の意味を薄めてしまうことに等しい。(中略)できればエネルギーのある若い時期にこそ、ぐっとため込んでいく孤独を知ってほしいと思う。(中略)自分を徹底的に磨く。勝負をかける。その時期に、自ら進んで孤独になる。これは、孤独の技法というべきものだ。 ]

齋藤氏が書いている事は創価学会についても言える内容で、学会の組織に付き従い、その集団の中で群れていると安心するという学会員は多い。そして学会の組織から離れていると不幸になるのではないかと不安になってしまい、ますます学会組織から離れられなくなるのである。まさに創価学会の思うツボという訳だ。
実際には学会組織に付いて行く事により学会の手先としてうまく利用されているだけに過ぎない。それで満足している学会員ならまだしも、好きでもないのに学会の集団に群れているのなら、それこそ無駄な人生だと言ってよい。
孤独というと一般的にもマイナスイメージがあるが、孤独が全て悪い訳ではない。ただの逃避として孤独を選ぶのはマイナスでしかないが、齋藤氏が言うように自分を磨く場としての孤独はあって良いのだ。原始仏典にも「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉があるが、釈尊もイエス・キリストもその他の宗祖達も孤独の時期を体験して悟りに至っている。宗教家ではない俗人がそこまで徹する必要はないが、群れから離れて孤独の中で思索する事も必要だ。そうする事によって創価学会が本当に自分の人生に必要なものなのかという考えに至る事もあるだろう。創価学会にとっては信者にそういう考えを持たれては困るからことさらに「孤独は不幸だ」と強調している訳だ。要するに、学会にとって信者に冷静に考えられては困るのである。人が冷静に考えられる状態というのが孤独という場だからである。
その上で「孤独は不幸」だと思うのなら、創価学会やカルト以外の集団・コミュニティに入れば良いのである。
創価学会でしか孤独から抜ける場所がないという訳ではないし、ましてや創価学会はカルトなのだから入る必要もない。
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部外者から助けられても「学会の信心のおかげ」

これまで学会員が世間から嫌われる理由をいくつか書いてきたが、もう1つ嫌われる理由を書くなら、特に盲信的な学会員は学会部外者から助けられても、「それは信心のおかげ」とか「学会のおかげ」としか思わないという事がある。
ネット上にはそのような学会員に対する批判の書き込みが見受けられるが、当ブログでも学会員の役職者や幹部の中には外部の友人・知人に泣きついて助けられている者がいたという記事を書いたが、そのような学会員達も「これも信心の功徳だ」とか「諸天善神が助けてくれた」としか思ってないようで、ますます学会の信心にのめり込む者が多かった。
確かに、困難な状況から助かった時、信仰している神や仏など見えない存在のおかげだと感謝するのは信仰者としてはあると思う。テレビの番組でも、災害などで奇跡的に助かった外国人が「神に感謝します」と述べる場面を見かけるが、それは助かったのは自分の力のおかげではないという謙虚さの現われではないかと思う。
ひるがえって盲信的な学会員の場合を見てみると、部外者から助けられても、「それは自分の信心が強盛であったから」とか、「創価学会で信心しているから助けられるのは当たり前」といううぬぼれの気持ちや学会部外者を見下す気持ちがあるようだ。つまり、部外者が助けてくれたのは信心による諸天善神の働きであり、結局「自分の信心がすごいから」といううぬぼれの気持ちになるのではないかと思う。
しかもその上、そのすごい功徳がある創価学会の信心をもっと広めなければと、助けてくれた部外者にまで折伏をしようとする非常識な学会員もいるようで、そういった非常識で独善的な学会員の態度が嫌われる理由になるのだろう。
要するに、自分の信じているものだけが正しく他のものは全て間違っているという他を見下す創価学会の独善性が嫌われているのである。

内部アンチによる学会批判

創価学会に不満を抱きながらも学会組織から抜けられない会員は多いようだ。そんな創価学会内部アンチのブログ『創価学会員による創価ダメ出しブログ』に共感する記事があったので勝手ながらここに転載させて頂いた。
(記事は2011年に書かれたもので、原文のまま)


〈 転載ここから 〉 

宗門と別れて20年。
「宗門からの支配から解放されて良かったと」今も耳にする。
しかし、それって本当に心底思ってるのだろか?
だとしたら、本当に学会員てのはオメデタイ人間の集まりだ。
そもそも、宗門から支配されていたと言うが、
どんな支配をされていたのだろうか?
支配されていたとしても、それを我々末端の学会員が
直接何か被害を蒙っていたのか?
そんなことは全くない。
支配されたと思い、被害を蒙っていたと思ってるのは
学会の上層部だけだろう。
「威張った坊主に嫌な思いをさせらていた」
なるほど、そんなこともあった。でもいまは
「威張った幹部に嫌な思いをさせられている」
何も変わらない。
「ご供養を坊主の遊興に使われた」
なるほど、そんなこともあるだろう。
では、学会職員達は財務の中から給料もらって、
全く遊興費は使わないのか?

結局、一般の学会員はとっては何も変わってないのだ。
宗門に支配されてた。
これが、【学会に支配されてる】
に変わっただけだ。
それを、学会患部達に騙されて、
あたかも宗門と別れて物凄く良くなった。と思わされているだけ。
良くなったのは、学会上層部の学会職員だけ。
宗門と別れて、宗門に色々搾取されることなく
自由気ままに会員達を動かすことが出来るようになったんだからな。
一般会員からすれば、むしろ宗門と言う重しが有った方が
うんと良かったのだ。
日蓮仏法と関係ない、新聞啓蒙や選挙ばかりやらされ
暮れになれば財務の戦い。
会員のカネと時間を使っておきながら
自分達が偉いと思ってるクソみたいな幹部。
宗門支配が終わった後には
宗門以上に狡猾に会員を支配しようとする輩が出現したわけだ。
我々の本当に戦わなければならない相手は、
学会の中に潜む、権力であり。悪党どもなのだ。

〈 転載ここまで 〉

外に敵を作って学会員の憎悪をそこへ向けさせると共に、学会こそが正義であると信じ込ませてマインドコントロールするのが創価学会のいつもの手口であるが、マインドコントロールにかからない内部アンチによる学会批判は的を射ていて共感を覚える。
このブログは現在更新されてないのが残念だが、このような内部アンチがもっと増えて創価学会の内部崩壊を加速させてもらいたいものだ。



創価学会の理想と現実-功徳編

創価学会が布教する時の決めゼリフは「この信心をすれば福運が付いて功徳が出る」というもので、聖教新聞においても座談会などの会合においても功徳の体験談が大々的に宣伝されている。創価学会の言う功徳というのは病気が治る、生活が良くなる、仕事がうまくいくなど、主に現世利益が強調されており、特に戦後の復興期にその宣伝文句が功を奏して多くの信者を得る事ができたのであるが、しかし、実際はどうかというと、創価学会が広言している功徳の実証を示している学会員はなかなか見当たらないというのが現実である。
また、創価学会は客観的な功徳の現証が見られない場合の言い訳として「功徳というのは単に願いが叶ったとか思い通りになったという事ばかりではなく、困難に遭遇してもそれを悠々と乗り越えて行ける境涯になる事を功徳というのである」などと言っているが、周囲の学会員を見ると、困難な状況(主に生活面)に直面すると学会部外者の友人・知人に泣きついて助けてもらおうとする役職者や活動家が多く、とても「悠々と困難を乗り越えられる境涯」とは言えない者が多かった。
以前にも書いたが、そもそもこの世は無常の世界だから良い事も悪い事もあるのが当たり前であり、良い事があった時「これは功徳だ」と思えるのが信仰心というものだろう。「真の功徳は創価学会にしかない」と豪語しているが、良い事があったとか願いが叶ったとかいう現証は創価学会でしか体験できないというものではなく、他の宗教での信仰においても見られるし特定の信仰をしていなくても見られる事でもあり、創価学会にしかないというものではない。
結局、功徳があるかないかというのは本人の気持ちの問題であり、本人が幸福だと思えるのならそれは功徳であると言えるだろう。いくら創価学会が他宗教の信仰で幸福感を得ている人に「それは邪宗の信仰によるものだから功徳ではない」などと批判しても、本人が幸福感を得ているのならそれは功徳というものだ。
それよりも、功徳欲しさに創価学会からの無理難題をやり遂げようとして無理をし、それによって幸福感を得るどころか苦痛しか感じられないのでは本末転倒でしかないし、そんな信心を続けても無駄でしかない。

創価学会の理想と現実-組織編

創価学会は学会の組織こそ最も和合された理想の人間集団であるなどといつも宣伝しているのだが、その創価学会の宣伝文句を信じて学会に入会した人は、やがて学会組織の現実が見えるようになる事だろう。
学会部外者で創価学会に好意を持っている人は、座談会や支部総会などに出席して、その和気あいあいとした雰囲気が気に入り、「創価学会は確かに素晴らしい集団だ」と思って学会に入会する事が多いようだ。そういう人は入会間もない頃はまだ座談会に出席する程度だから、その和気あいあいとした雰囲気だけで判断して「やっぱり創価学会は理想の人間集団だな」と喜んでいられるのだが、座談会にしばらく出ているとそのうち役職を付けられる。そうなると座談会のような和やかな雰囲気の会合ばかりではなく、目標達成を押し付けられたり責任を追及される役職者の会合にも出なければならなくなる。そして無理難題も押し付けられ、それを達成する為に無理して活動しなければならなくなる。そのような無理な学会活動を続けるうちに神経も図太くなり、厚かましい人間に「人間革命」していく訳であるが、神経の繊細な人はどうしても神経を図太くさせる事ができず、そのような人はうつ病になっていく事になる。実際、ネット情報によると、学会の活動家にはうつ病など精神を病む人が多いのだそうだが、確かにそれは頷ける事だ。しかも、神経の繊細な人は神経の図太い厚かましい学会幹部や活動家と接する事もまた苦痛になり、それも過大なストレスとなって精神を病む事になる。
「創価学会こそ理想の人間集団だ」と期待して学会組織に入っても、現実は一般社会と変わらない。それどころか組織にがんじがらめにされる更に酷いストレス社会が創価学会なのである。
神経の図太さと厚かましさに自信のある人にはお勧めの集団だとは言えるだろう。

創価学会の理想と現実-折伏編

前回の記事で折伏の事を書いたので、今回もそれに関連した記事を書いておきたい。
「折伏する時は慈悲の精神で理路整然と法を説け」とは学会幹部の指導の言葉であったが、折伏の現場で理路整然と法を説くような学会員を見た事がない。男子部だった頃は支部内で折伏座談会が頻繁に開催されていたし、日曜日には地区幹部に連れられて、若い独身者が住んでいそうなアパートに行き、飛び込みセールスのように片端から部屋に訪問して折伏戦を行なっていたものだったが、それらの場での男子部メンバーは皆「創価学会に入れば良い事あるから入れよ」とか「この信心をしないと悪い事が起きるから、早く学会に入っておいた方がいいぞ」とか、「理路整然」とは程遠く、性急に「学会に入れ」とか「入らないなら罰が当たる」の脅し文句を言ったりとか、あるいは「芸能人の〇〇は学会員で、信心に頑張ってるぞ」とか人気のある芸能人の名前を出して勧誘したりとか、とても「法を説く」というようなものではなかった。法で人を導く事自体よりも成果を上げる事を評価する創価学会だから、いくら幹部が理想の折伏観を語った所で、現場の学会員はとにかく手っ取り早く信者を増やして成果を上げようとして「とにかく入れ」「入らないなら罰が当たる」というような事しか言えないのである。
創価学会を離れてかなり経つから、現在の創価学会の折伏の仕方はどうなのかは知らないが、今でも大して変わりはないと思う。そもそも指導する立場の大幹部が自らは折伏も実践していないのに「折伏しろ」と言っている状況なのだから、一般会員に理路整然とした理想の折伏などできる訳がない。

人を救う事より成果を上げるのが最優先の折伏行

「折伏行とは末法の不幸な衆生を救う為の慈悲行」と主張している創価学会だが、実際の所、不幸な人を救いたいという慈悲の心を持って折伏行を実践している学会員はどれほどいるだろうか。多くの学会員はノルマ(目標達成)をこなす為と成果を上げる為に折伏を行なっていると言ってよいだろう。その為にはかなり強引な事でも非常識な事でも平気で行なっているし、その結果、人を救う為の慈悲行のはずが、人に迷惑をかけ、不快な目に遭わせ、不幸な目に遭わせてしまっている学会員が多い。更に、折伏しても入信しない相手に対しては「仏敵」とみなして嫌がらせをする学会員も中にはいるようだ。それは表向きは「人を救う為の慈悲行」と言っていても、本音は創価学会の勢力拡大・組織拡大が目的なのだから、折伏の成果を上げられない会員は幹部から吊し上げられたり嫌みを言われたりでプレッシャーをかけられる為、成果に焦って悪質商法のような事をやってしまうのは当たり前だと言ってよい。
結局、学会員は、初めは「不幸な人を救う為の慈悲行」として折伏を実践していても、そのうち幹部からの成果主義による吊し上げや嫌みを受ける事によって「自分の成果を上げる為」の折伏行となり、最終的には池田名誉会長や創価学会への「恩返しの為」の折伏行となってしまう訳である。つまり、「人を救う為」という目的がいつの間にか消えてしまい、「自分の成績」の為、そして結局は「創価学会の為」という事が折伏行の目的になってしまっているのである。人を救う事など念頭になく、ただ自分達が勢力拡大したい組織拡大したいというだけのカルト集団が創価学会なのだから、そうなるのは当然ではあるだろう。

不要なゴミは捨て去るべき

創価学会擁護派の評論家や学者は勿論の事、中立派の評論家や学者も、創価学会の功罪の功の面として、戦後の復興期において社会の底辺に属する大衆を組織化し、上昇志向と生きる希望を与え、社会の安定に寄与したという点を挙げて創価学会を評価しているが、確かに、創価学会にも功罪の両面があり、その功の面も評価すべきだという事は否定はしない。
創価学会は功の部分よりも罪の面が大きいという事実があるにしても、評論家などが言うような功の部分があるのも確かかも知れない。つまり、創価学会は有害な面があるにしても戦後の復興期という時代には必要な存在であったと言う事はできるかも知れない。
そのように100歩譲って創価学会にも功の面があり、社会に必要な存在であったと認めるとしても、だからと言って、今も創価学会が社会に必要な存在だと言う事にはならない。
創価学会が必要とされた、あるいは創価学会に存在意義があったというのは、戦後復興期という時代背景があったからである。当時の学会員には創価学会という存在が必要だったのだろう。創価学会での信心と活動が生きる上での原動力となっていたのだろう。100歩譲ってそれは認めても良いだろう。
しかし、当時の日本には創価学会が必要だったからといって今も必要だという事にはならない。今は当時とは時代も違い、社会も変化している。このように時代の違いによって変化している社会にそのまま創価学会が必要になる事はなく、むしろ現在の社会において創価学会はその存在意義もなくなっていると見るのが正しい。
つまり、創価学会に功罪の両面を認めるにしても、創価学会の功の面は戦後復興期から高度経済成長期までの間だけであり、その時期にだけ創価学会の存在意義があったと言うべきだ。現在においては創価学会には功の面はなく、全て罪の面しかないのであり、必要ないものなのである。それなのに、未だに創価学会にこだわり、創価学会を捨てられないで、却ってその創価学会によって苦しみ悩んでいる学会員がまだ多く存在している。今の社会に必要ないものだからこそ、それにこだわり続ける事によって苦しみしか得られないのである。
そのような学会員は、釈尊の『筏の譬え』という教えにもあるように、不要になったものは捨て去るべきなのだ。
当時の学会員は創価学会のおかげで救われたと思っているが、現在、その創価学会に苦しめられているのが現状である。謂わば、学会員は河を渡った後も、創価学会という筏を背中に担いで岩山の険しい道を歩いているようなものなのだ。そんなゴミはさっさと捨てれば楽になるのに、わざわざゴミを背負って苦しんでいるようなものなのだ。
当時の学会員にとって創価学会の信心は必要だったのかも知れない。しかし、その後は創価学会はもはやゴミでしかないのである。そこに未だに気づかないようである。気づかないというよりも、薄々ながら気づいているのかも知れないが、これまで人生の全てを創価学会に捧げてきたような生き方をしてきただけに、創価学会の信心を捨てるのはこれまでの自分の人生を否定するような気がして、なかなか捨てきれないでいるのだろう。
しかし、もはや創価学会は河を渡った後の筏と同じく不要な存在でしかないのである。そのようなゴミとしての創価学会を後生大事に背負っていても幸福になる事はない。それは多くの学会員を見れば判る事である。



『筏の譬え』の参考サイトURL

● http://aroma.mo-blog.jp/incense/2012/01/post_b658.html


● http://teishoin.sakura.ne.jp/i/47.html


● http://www.ko-kon.net/kokoro/shinjin/shinkou_gimon03.html


共感した反創価ブログ

当ブログにご訪問頂き、誠にありがとうございます。

今回は趣向を変えて、私が共感した反創価学会ブログを紹介していきたいと思います。
私が共感した反創価ブログはたくさんあり、全てを紹介する時間がありませんので、中でも特に印象深かったブログを厳選してご紹介いたします。中には現在更新されていないブログもありますが、今でも参考になります。


① 『白バラ通信 パンドラの箱
髙倉良一氏が運営しておられるブログです。紹介するまでもない有名な反創価サイトで、巨大な権力悪と闘う姿勢に共感を覚えます。


② 『嫌創価流
コオロギ丸さんが運営されているブログです。こちらも有名な反創価サイトで、その内容に以前から共感していました。また、私の知らなかった情報も豊富でとても参考になります。


③ 『創価学会の信仰に功徳はあるか?
米山士郎さんが運営されている有名なブログです。冷静且つ客観的な姿勢で創価学会を批評しておられます。また、仏教学的知識の記事にも関心を持って読ませて頂いております。


④ 『創価学会と家族問題を考える
非活動2世学会員のねまさんが運営されているブログです。創価学会と家族の問題の視点から創価学会を批評されています。各国の海外SGIの内情などもよくまとめられていてとても参考になります。


⑤ 『時計の針の 巻き戻し
軒さんが運営されているブログです。創価学会の疑問点に対する考察に共感できます。


⑥ 『妻はアンチ、夫はバリバリ。
華さんが運営されているブログです。学会員との結婚問題を考える内容で、同じ問題に悩む多くの人から支持されているブログです。最近更新終了されたのが惜しまれます。



⑦ 『創価学会に悩むすべての人へ
チョンガー氏が運営しておられるブログです。創価学会問題について様々な面から考察をされていて、実に考えさせられる内容になっています。特に仏教の本質についての考察に共感します。



⑧ 『真実と幻想と創価学会
クロさんが運営されているブログです。数ある反創価ブログの中でも癒し系に入る内容で、創価学会への批判記事であっても心休まる心地がします。時々投稿される「 にゃんだふるライフ 」の記事にも和まされています(^^)



⑨ 『木花のブログ
木花さんが運営されているブログです。信仰者としての良識と情熱が伝わってくるブログです。



⑩ 『創価学会は本当に正しいのか?
ジョゼさんが運営されているブログです。熱心な活動家から非活動に転じていった心境が語られています。私も同じ心境だった事があるだけに深刻な内容ではありますが、軽妙な語り口に救われてます。



⑪ 『意味のないことなんて起こらない
ミルさんが運営されているブログです。学会員の彼氏を持った事から反創価ブログを始められたそうですが、内容的に創価学会問題の諸資料も豊富で、実に参考になるブログです。



⑫ 『だから創価を辞めました
胡蝶さんが運営されているブログです。創価学会の問題点をユーモアのある語り口で綴られている内容に共感を覚えます。



⑬ 『価値[再]創造
アロエさんが運営されているブログです。穏やかな語り口での創価学会批判に共感します。また、皮肉とユーモアが効いてる記事も楽しく読めます。



⑭ 『斜め目線の創価学会
ウトロさんが運営されているブログです。創価学会の矛盾点を筋道を立てて論じられていて大変参考になります。


⑮ 『創価学会やめました
VUITTON.さんが運営されているブログです。「創価学会は大嫌いだ」とはっきり言い切り、歯に衣着せぬ痛烈な批判が痛快です!


⑯ 『元バリ創価学会2世のブログ
さくらさんが運営されているブログです。創価学会の疑問点をユーモアと皮肉を交えて指摘されている所が共感できます。しかも、教学面でも資料を提示して矛盾点を指摘されており、読み応え充分の内容です。


⑰ 『はあ~疲れるよ、創価学会
りりぽんさんが運営されているブログです。良識ある考え方で創価学会の矛盾点・疑問点を指摘されていて、創価学会がいかに良識と常識のない集団であるかが判る内容です。そのつぶやきにも似た文章には共感を覚えます。


⑱ 『ゆとりのための創価ライフ
world_earthさんが運営されているブログです。「古臭い灰色な雰囲気の学会活動を少しでも楽しくする為、斜め横から見よう」というコンセプトによって書かれてあるブログで、正確には創価内部アンチというほどでもないようですが、学会活動への不満と創価学会の疑問点とを皮肉とユーモアで笑いのめしている所が面白くて笑えます。


⑲ 『きままに復活日記
のんのんさんが運営されているブログです。創価学会現場の理不尽さをユーモアを交えて指摘されていて共感できます。


⑳ 『対話を求めて
signifieさんが運営されているブログです。客観的に冷静な態度で創価学会を分析されています。


㉑ 『don't trust///
祥蘭さんが運営されているブログです。創価学会の間違いに気づき、いわゆるバリ活から非活動家へと変わっていった経緯と心境が綴られていて、学会組織や幹部の内情やマインドコントロールの有り様などがよく判り、参考になります。


㉒ 『はぐれ雲~元創価学会員のつぶやき
はぐれ雲さんが運営されているブログです。創価学会の非常識さと異常性がよく判り共感できます。そして気負いのないつぶやきのような語り口にも好感が持てます。



㉓ 『仏教と批判的合理主義
Libra氏が運営しておられるブログです。創価学会だけを扱っているという訳ではありませんが、創価学会の教学も仏教学によって批評しています。私も仏教学に関心があるので、とても参考になります。



海外での創価学会批判

ネット検索していたら、『誤訳御免。』というサイトに、海外のネット掲示版に書き込まれている創価学会批判の翻訳文が掲載されているのを見つけた。外国人が創価学会をどのように見ているのかがよく判る内容なので、少し長くなるが、ここにその一部を転載させて頂いた。


  【転載ここから】

RowdyRudy  スレ主
創価学会についていろんな奇妙な話を俺は聞いてる。
その信者たちは日本のモルモン教徒みたいなものだとかね。
俺の友達に信者がいるんだが、彼女は当の日本人たちですら
創価学会のことを嫌ってると言ってたよ。


the2belo
俺は元新人学会員だったんだ。
1980年代後半にワシントンDCで彼らの集会に出かけていた。
(そこには彼らの文化センターがあり、日蓮宗の寺もワシントンDC
にあった)
俺も最初は興味津々だった。
まだ19歳だったから何にでもトライしたい気持ちが強かったんだ。
始めは集会に出るのが本当に面白かったよ。
仏教の宗教的なしきたりや儀式を学ぶことができたからね。
それで結局、俺はもう何もかもウンザリだと思うようになったん
だけど、その理由は既に他の人があげてるように、

1.増加していく焦点が、宗教的な教えではなく、池田大作の教え
  だったこと。または彼に起因する出来事だね。
  一般の創価学会の信者にとっては、正に彼は創価学会という
  宗教・組織すべてのそして唯一の顔なんだ。
  実質上、学会から発表されるすべての出版物には彼の名前が
  もれなくついてくるよ。 そしてとうとう・・・・・・

2.池田大作を称賛することにすべての焦点があてられる。
  まるで彼が崇拝の対象であるかのようだった。
  何百人もの信者がやってくる地方の集会では、ブラスバンドが
  準備されこんな歌詞の曲が演奏される。
  「センセイ! センセイ! センセイは永遠です!」
  彼は組織のリーダーであることを止め、金正日か文鮮明になっ
  たんだな。

3.誰かを勧誘しなくてはというプレッシャーの増加。
  ますます多くの時間とお金を組織の為に寄与することもだ。
  俺は熱心で活発に活動する信者たちに盾つくつもりはない。
  だが、もはや宗教を実践しているのではなく、機械の歯車に
  なってしまっていると気付かなければならない時期が彼らに
  は来てるんだ。

俺が創価学会を抜けるまでそんなに時間はかからなかった。
少し皮肉なことに、1992年に日本へ来たことが SGI [ 創価学会
インタナショナル ] の人たちと距離をとることに役立ったんだ。
今現在、俺は日本で最も一般的である宗派のひとつ、Nishi -
Hongwanji school of Jodo Shinshu ( 浄土真宗本願寺派 )
の信者である妻の家族と考えをほぼ同じくしている。
組織もなく、圧力もない。

roguex5
俺の母親がこの宗教のメンバーなんだけど、全体的に見て、彼らの
教えは邪悪なものとかではないね。
「肉を食べてはいけない。○○を禁止する」
といった類のものは一切ないんだ。
俺が思うに、信者たちの抱えてる唯一の問題は、ダイサク・イケダ
というリーダーに対する崇拝だけだよ。
ある意味、メンバーたちの精神的指導者のような存在なんだ。

俺も子供の頃は母親と一緒に月例集会に参加して、そこに来ていた
子供たちとつきあっていた。 そしてその宗教の基礎を学んだんだが、
総じて生活状況を掌握し自身でコントロールしなさいという感じの
教えだったよ。 成長しても学会に留まった子供たちもいたが俺らの
数人はそうしなかった。 残念なことに大学にいる間俺は集会に参加
しなかったのだが、そこで出会った子供たちの多くとはその後も連絡
を取り続けてたんだ。 その内のまだ学会に残っていた一人がある日
連絡をしてきて、俺を学会に戻そうとする為の待ち伏せまがいのこと
したんだよ。 こいつは嘘の理由で俺を呼び寄せ、そこには彼らがいう
ところのヤングメン部のリーダーの一人が後から現れた。
そして延々と長い話に付き合わされたんだ。
あまりに腹が立ったんで、それ以来そいつとはもう話をしてない。
彼が善意でやったことは理解できるが、そんなのしったことか!
そういうやり方は間違ってるんだよ。
この宗教自体は無害である種、人に力を与えもする。
イケダに対する心酔ぶりは心配ではあるものの、そこには彼の言葉
は絶対正しいと思い込む馬鹿げた " 洗脳 " があるだけだ。
信者たちを愚か者と断ずることに俺は躊躇している。
彼らの多くが知的な人々だったし、この宗教は他のそれと全く同じ
ものだと俺は思うから。

texasstorm
俺はかつて創価学会のメンバーの女性と友達だった。
彼女はよく創価学会の英語出版物を持ってきては、いかにイケダが
素晴らしいかを語り、俺にも興味を持って欲しいと願っていたよ。
そのイケダの語られぶり、描かれぶりこそが、俺にとっては最大の
興醒めだったのにね。
その出版物のすべてで、世界中の有名なリーダー、作家、政治家
と彼が一緒に写った写真が掲載されていた。
それらはまるで、有名人の恩恵に授かろう、若しくは、これほど
多くの著名人と共に写真を撮れるのだから彼は素晴らしい人物に
違いないといった考えを想起させようというかのようだった。
また、イケダ自身がアマチュアの写真家でもあるので、彼の撮った
写真はとにかく非常に深いものだと信者らに思われていたよ。
たとえそれが、もの凄くありきたりな写真であってもね。
信者が彼をカルト崇拝することをイケダが禁じたとは思えないな。
それから俺は、創価学会のビジネス慣行にもちょっと悩まされた。
創価学会のメンバーで運営される企業を後援するように奨励され
るんだよね。 これってアメリカで一部のクリスチャンやユダヤ人
グループがやってることと全く変わらないよ。

YelloJuso
彼らには良い見解を持てずにいるよ。
リーダーであるダイサク・イケダには気味の悪い個人崇拝がつい
てまわってるし、俺の家族は入信させようとする近所の人達に
よって絶えず悩まされているんだ。
周知の事実だけど、彼らはひとつの政党を持ってもいる。
それって俺にはどう考えても憲法違反なんだよね。
創価学会はカルトだよ。

norepliesonlyimplies
彼らは日本のモルモン教徒というよりは、日本のサイエントロジー
という方がもっと近いだろうな。
創価学会の印象深いメンバーリストには、エリック・クラプトン
などの有名人が名を連ね、表面上は仏教のひとつであると明言して
いるけど、実際のところは、もう少し黒い組織なんだ。
オーム(現在のアレフ)とは全く別物であるが、彼らは政治だけ
でなく芸能界の分野にも多大な影響を及ぼしている。
公明党は、どう見ても彼らの政治団体だ。
お互いのメンバーが公的には否定してるけど間違いない。
悪名高いヤクザのボス後藤忠政とも深い関係にあった。
俺が会った日本人は、人前で創価学会のことを語るときはもの凄く
ウンザリしてる風だった。 その事実が創価学会がどういうものか
を如実に物語ってるね。

  【転載ここまで】

海外SGIは日本の創価学会よりはまだ自由さがありカルト度は低いと思っていたのだが、池田名誉会長を個人崇拝させたり、だまし討ちのようにして入信させる折伏活動など、やはり海外の場合もカルトである事に変わりはないようだ。ハービー・ハンコックやウエイン・ショーターなどの著名人が創価学会を称賛するのは広告塔として特別待遇を受けてるからで、一般会員は海外の場合でもこき使われ、搾取されているのだろう。まだ選挙活動がないだけ日本よりマシかも知れないが。

結局、人間革命とは

「人間革命」を売りにしている創価学会は、人は信心によって変われるという事を強調してきた。功徳の体験談でも以前の自分といかに変われたかというテーマが中心になっているし、創価系ブログにも『創価学会で俺は変われた』というブログがあり、創価系漫画には「変われるよ。現に俺は変われた。創価学会に入って俺は変われたんだ」という名言(あるいは迷言)で有名だという『Chance!』というのがあるように、創価学会の信心活動でいかに変われたかという事が宣伝されている。
特に体験談で多いのは、内気で気弱だった人が、学会の信心と活動によって強気で積極的な人間に変わっていったという点だ。筆者も元々引っ込み思案で内向的な性格だったのが、学会活動をしていくうちに人前で喋れるようになり、外向的に変わっていったという事を「これは信心の功徳だな」と思っていた事があった。功徳という言葉を使わなくても、ここまでならそれは学会活動の効用だとは言えるだろう。
しかし、内向的な性格を克服できるのは学会活動でしかできないという事はなく、性格改善の方法はいくつもあるものだ。創価学会の場合、学会活動によって有無を言わさず強制的に行動させ、それによって内向的な性格を改善していくというのは、その時の気分に関わらずに行動を通して対人恐怖などの神経症を克服していく森田療法に似通っている。このように、創価学会でなくても他に性格を改善する方法はあるのであり、創価学会にしか頼れないという事はないのである。
それよりも、創価学会では学会活動を通して外向的性格に変えてゆくというのを通り越して面の皮が厚くなり、厚かましい人間になってしまうし、その上、活動を通してマインドコントロールされ、善悪の見境もなくなり創価学会の操り人形のようになってしまう恐れがある。
結局、結論として、厚かましい人間になる事と、創価学会にとって操縦されやすい人間になる事が創価学会で言う「人間革命」という事になる。これでは学会活動を一生懸命実践してもマイナス面が大き過ぎて、信じる価値はないという結論になる。

祈っても願いが叶わない創価学会

「祈りとして願いの叶わざるはなし」とは創価学会の得意の宣伝文句であるが、これほど自信満々に広言しているのだから、創価学会には願いの叶った人で溢れているのだろう、と部外者は思うのではないだろうか。それでこの宣伝文句に惹かれて入会する人もいる訳だが、しかしそういう人は、入会後しばらくすれば、殆どの学会員が願いが叶っていないという事に気がつく事だろう。
特に、「しっかり題目を唱え、日々の学会活動に打ち込めば願いが叶わない事はない!」と会員に自信満々に指導している役職者・幹部(中でも地区幹部や支部幹部)に、願いが叶ったという功徳の体験のない者が多いという事に気がつく事だろう。
筆者の場合、地区幹部と接する事が多かったのでよく判るのだが、特に地区幹部は生活面で苦労している事が多く、平会員の前ではいつも功徳の体験に溢れているかのような顔と態度をしているが、実際は金策に奔走しているという者が多かったものだ。
祈っても願いが叶わないから、結局、高利貸しから借りたりとか、会員や外部の友人・知人に泣きついたりしていたものである。筆者がまだ平会員の頃はそういう事は判らないでいたが、役職を付けられ地区幹部などと接する事が多くなってくると、幹部達の裏事情が判るようになっていったものである。
結局、幹部達は口では「この信心の力は絶対だ!」と言いながら、信心の力を信じる事ができずに高利貸しや会員や友人・知人に借金して回っていたのだろう。
筆者はそんな有り様を見て「こんな宗教で大丈夫か?」と思ったものだが、実際、大丈夫ではなかった訳だ(笑)

そもそも、宗教は生きる上での杖にはなるが、魔法の杖ではない。だから、何でも願って祈れば思い通りになるなどという事はない。聖書などの宗教聖典には信仰による奇跡が説かれてあるが、それはモーセやイエス・キリストなどの俗人ではない聖者だからこそ出来た事なのであり、俗人をも同じように考えるのが間違いの元なのだ。
創価学会のような、信心すれば誰でも簡単に願いが叶うかのように吹聴しているのは信者を集める為の誇大広告でしかなく、こんな宣伝文句を信じて入会すると功徳が得られるどころか更に苦労させられる事になるだろう。

なお、この件について、祥蘭さんが運営されている『don't trust///』というブログに共感できる記事が書かれてあったので、ここにご紹介しておきたい。
それともう1つ、acz​*02​5*3さんが運営されている『私の家族は創価学会』というブログに書かれてある記事も興味深い意見と思えるので一緒にご紹介しておきたい。






将来における学会組織構成比

以前、当ブログに、創価学会の副会長は200人前後もいると書いた事があったが、今では副会長は300人前後にまで増えているそうだ。地位の高い役職を与えての裏切り防止対策なのかも知れないが、この調子ならそのうち副会長500人とか1000人とかになるのではないだろうか。
しかし、近年会員数は確実に減り続けているから、このまま行くと本部職員の人数と一般会員の人数が逆転する可能性もある。そうなると将来、副会長数1000人に対して一般会員数500人とかいう時代が来るかも知れない。
実際にはそこまで極端にはならないにしても、それに近いような状態にはなるのではないだろうか。
そうなると、一般会員からの寄付などによって賄われている本部職員の給料も間に合わなくなるだろうし、高給取りを維持する為には副会長もその他の本部職員も金づるになる一般会員を自ら折伏して増やす必要があるだろう。信者に活動の号令だけかけて高給取りという身分も将来崩壊していきそうだ。



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