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とぼけた記事を書いている提灯持ち創価系ブログ

ネット検索していたらたまたま創価系ブログを見つけたのだが、そのブログにとぼけた内容の記事が書いてあり、ある意味面白く思ったので、ここに紹介しておきたい。興味のある方は覗いてみられるのも一興だろう。
URLはこちら→ http://trendblog.sblo.jp/category/654645-1.html

その創価系ブログに財務についての記事が書いてあったのだが、その中で、「財務は強制的になされるお布施のように誤解されている向きが多い。創価学会の財務部員となり広布基金に参加することはあくまでも信仰上の権利であって義務ではないのである」と書いてあり、財務はあくまでも義務ではなく信仰上の権利であると強調しているのだが、これを読んで元学会員は勿論、現役の学会員でさえも「何とぼけた事書いてるんだ!」と呆れるのではないだろうか。財務は義務ではなく信仰上の権利とはよく言えたものである。「権利なのだから、権利を行使して目一杯寄付しろ」と言いたのだろうが、学会員の中で財務を権利だと思って喜んで寄付している者がどれだけいるだろうか。
筆者の親は学会員だが創価学会をそんなに信じてなくて、財務についても喜んで寄付している訳ではなく、なるべくなら出したくないと思っているようで、言わば納税の義務のように義務感で「仕方ない」と言いながら寄付している有り様である。ではなぜ出したくないのに財務に寄付しているかというと、学会組織は一般の宗教よりも人間関係が濃密である為、財務にしても人間関係を気にして断わりたくても断われない雰囲気になっているからである。しかも、財務の振込期間中には「財務は振り込みましたか?」と幹部が電話などでしつこく確認を取りに来るのでなおさら振り込まざるを得ない雰囲気にさせられているからである。
そこが創価学会の巧妙な所で、確かに財務は強制ではないが、財務に振り込まざるを得ないように仕向けているのである。学会組織の人間関係がそれほど濃密ではないなら、財務をクールにあるいはドライに断わる事ができる所だが、財務を断わる事に罪悪感を持たせるように仕向けている所が創価学会の狡猾さなのである。
筆者は、借金までして財務に寄付している学会員を何人も知っているが、「財務は強制ではなく、権利である」と思っている学会員が借金までして無理して寄付するような事はしないだろう。無理して財務に寄付するように仕向けているからこそ借金までして寄付しているのである。そういう現実がこの創価系ブログの管理者には判ってないようで、ただ理想論を述べているだけでしかない。と、言うよりも、ある意図を持って運営されているブログではないかと思う。
この創価系ブログは一見すると一般の学会員が運営しているように見えるが、管理者のハンドルネームなども表示されておらず、その内容も1学会員の視点からと言うよりも、創価学会側からの視点のような印象を受ける。
恐らく、学会本部の職員が学会員個人が運営しているように装ったブログではないかと思う。創価学会の公式サイトよりも、一般会員が書いているように見せかける事が財務や選挙活動や折伏活動などに会員を誘導しやすいからではないかと思われる。その意図に気づかずにこんなブログに共感する者がいるとすれば、よほどおめでたい人間なのではないだろうか。

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外部の友人と深い友情を築けない学会活動家

学会幹部は「地域、社会に友情を広げることが、そのまま広宣流布につながる」などと会員に指導をしているが、熱心な活動家になればなるほど外部の友人とは深い友情を育むのが難しくなるのではないだろうか。
なにしろ学会活動家は常に折伏の成果を強いられる為、友人に対しても「どうやって会合に連れて行こうか」とか「どうやって入会させようか」とか創価学会に引き込む事ばかり考えるようになり、普通に友達として付き合う事ができなくなってしまうからだ。勿論、友人を折伏した結果、相手が入会し、同じ学会員としてそのまま友人関係が続くという場合もあるだろう。しかし、多くの場合、相手は折伏される事によって不快感と不信感を抱くようになり、友人関係にもヒビが入るという事態になりやすいのではないだろうか。外部の友人との友情を深めたいが、折伏成果も上げたいという学会活動家のジレンマが続く事になるが、それも創価学会のせいなのである。

「御供養の精神」で財務を要求する創価学会

19日付聖教新聞第4面の「教学」のページに「御聖訓に学ぶ御供養の精神」と題する記事が掲載されていた。
そこでは、御書の文を引用しながら、法華経の行者に供養する事は”一切衆生を利益する”という広宣流布を支える事になるので計り知れない功徳があると強調すると共に、供養はどこまでも真心が大切だという事も強調している。そして最後に、広宣流布の為に供養する功徳の大きさは無量無辺であると締め括っていて、明らかに、財務が間近に迫っている時期であるだけに、いかにして会員に進んで寄付をさせるかという下心が露骨に窺える内容の記事になっている。
その記事では、創価学会こそ法華経の行者なのだから供養を受けて当然であり、学会に供養すれば無量無辺の功徳が受けられると言いたいようだが、しかし、根本的に間違っているのは、創価学会は法華経の行者ではないという事だ。
創価学会によれば法華経の行者とは自らを犠牲にする覚悟で折伏弘教を実践してゆく者の事を言うのだそうだが、しかし、創価学会の職員の殆どは一般会員に折伏弘教を実践させているだけで、職員自らは法華経の行者としての実践をしていない。
18日付聖教新聞の第5面「躍動する広布最前線」という記事にも書いてあるように池田名誉会長は「創価学会は、永遠に『折伏』の団体である」という指針を示したのだそうだが、その池田名誉会長自身はこれまで友人だというゴルバチョフ元ソ連大統領を始めとする世界の著名人と会談しても、お世辞を言って相手を褒めちぎってはただ仲良くしているだけで、全く折伏を実践していなかった。このような号令を掛けるだけで自らは折伏弘教を実践していない者は法華経の行者とは言えないし、法華経の行者ではないのだから創価学会には供養を受ける資格はない。それが根本的な間違いなのである。
折伏弘教を実践している者が法華経の行者だというのなら、学会員の布教活動が真理として正しい行動かどうかは別にして、実際に弘教活動を行なっている一般会員にこそ創価学会が供養するのが筋というものだろう。
本来供養を受ける資格のない者が大きな顔をして供養を要求する事こそが厚かましい事なのであり、厚顔無恥とはこの事を言うのである。

理念の変質に存在価値はない

この所、新聞・ニュースやワイドショーでも、医療グループ「徳洲会」による選挙違反事件が報道されている。元々は医療革命を実現させる為には政治の力が不可欠という考え方から政治に関わるようになったそうなのだが、今ではその理念が変質してしまい、利権追求の為の選挙活動に堕した感がある。
その徳洲会の事件を見ていると創価学会が重なって見えてくる。医療の分野と宗教の分野という違いはあるが、どちらも初めの頃に掲げていた理念が変質していったという点で似通っている。
報道番組で、徳洲会の職員が、選挙期間になると病院の仕事もなおざりにして選挙活動に駆り出されると語っていたが、これなども信仰と無関係な選挙活動に駆り出される学会員と共通する所がある。
創価学会も、善意に解釈するならば、公明党を結党して政治に進出したのは日蓮仏法の理念を政治に反映させ、理想社会の実現を目指すという出発点があったのかも知れないが、それが今では権力を得る為の手段として政治を利用し、信者を選挙活動の戦力として利用しているに過ぎない。
結局、いくら崇高な理念を掲げていても、私利私欲の欲望へと変質していったら存在価値はないという事だ。
徳洲会は現在、組織の存亡が危ぶまれる状況にあるそうだが、創価学会の方はすでにそれを通り越して社会に不要な存在になっている。学会員の盲信者にとって創価学会は必要な存在なのかも知れないが、社会にとってはその役割はすでに終わっているし存在価値はない。
 

功徳の体験談記事の見せ所

先月の19日付聖教新聞に「信心したら、こうなった!」という題の功徳の体験談が掲載されていた。
神棚を拝んでいた時は商売がうまくいかなかったが、創価学会に入会してからは新しく始めた商売がうまくいくようになったという、いかにも判りやすい内容の記事になっている。こういう「創価学会の信心でしか人生はうまくいかない」というように単純化した記事を見て学会に入会したいと思う人もいるのかも知れないが、ただ難を言えば、その功徳によって盤石の人生になり、いつまでもうまくいくかのような書き方をしているが、「この世は無常」という仏教の基本思想にもあるように実際はそんな単純なものではなく、いつまでもうまくいくかどうかは判らないという事だ。座談会で「信心のおかげで商売がうまくいくようになりました!」と体験発表していた人が、しばらくすると経営が火の車となり、店を畳んで借金だけ残ったという事例はよくある話である。世の中とはそういうもので、学会の信心をしているかしていないかに関わらず浮き沈みがあるのは当然だ。
それに信心の功徳で良くなったという面ばかりを強調していて、その学会での活動の詳細があいまいにされているし、また、聖教新聞の体験談の記事には脚色も多いという事実もある。
筆者が学会員だった頃、所属する支部の男子部部長が「広布に頑張っている男子部部長」という記事の為に聖教新聞の記者から取材を受けた事があったそうなのだが、「実際に喋った内容と聖教新聞に掲載された内容が全然違っていた」と苦笑いしていたものだった。
いかに脚色して読者を惹きつけるかが聖教新聞のあり方なのかも知れない。未入会者ならば入会する気にさせ、すでに学会員ならば活動に邁進する気にさせ、そして財務に真剣に取り組む気にさせるような記事にするのが聖教新聞編集者の役割なのだから。
そう言えばもうすぐ財務の時期だが、功徳の体験談の記事からいかにして財務の数字に繋げていけるかという事が聖教新聞編集者の腕の見せ所でもあるのだろう。

学会葬を折伏に利用する創価学会

創価学会の活動家には高齢化が進んでいる。聖教新聞には青年部組織が拡大しているかのような記事ばかり書いているが、実際には青年部の活動家数は伸び悩んでいるようだ。若者が多い都市部でもそうなのだから、地方や田舎町では尚更だ。
筆者の実家がある地域の学会組織では活動家は年寄りが中心になっている。若くても50歳前後で、40代以下は皆無の状態なのだそうだ。わずかではあっても青年部員はいるとは思うのだが、会合には1人として顔を出す者はおらず、青年部組織は全滅状態にある。
このような地域で新規に信者を獲得するのは望めないし、あとは学会2世や3世を活動家にする事しかないが、それも容易な事ではない。なにしろ、座談会に出てくる子供は親に連れられた小学校低学年くらいのもので(正確には祖父母に連れられた孫。学会2世である親も会合に出てこないそうだから、祖父母が孫を連れて会合に出ているのだそうだ)、その子供達も高学年になると全く会合に出なくなってしまうそうだ。
そこで行なわれているのが、学会葬からの折伏や再折伏なのだという。実家のある地域では学会員の高齢化の為、ここ数年、学会員の葬式が続いている。殆どは学会葬である。葬式には、都会に出ている子供も帰省して参加する。子供の殆どは未入信か入信していても学会組織から離れている者ばかりである。そのような学会から離れている2世や3世に、学会葬で葬儀やその後の法要を取り仕切る事で恩を売り、学会ビデオを見せたり会合に連れ出したりして折伏や活動家育成に繋げる作戦に出ているのだそうだ。
それでも、親が死亡して故郷に帰ってきても葬儀後すぐ都会に戻ってしまう人もいて、葬儀後そのまま故郷に住み着く人はわずかしかいないから、この作戦もうまくはいってないようだ。
とにかく学会葬を信者拡大に利用したいほど、創価学会の若手の人材不足は深刻なようで、あの手この手を使っては信者拡大に躍起になっているが、その成果はなかなか上げられないでいる。しかし、それも当然の事で、これからの創価学会はいくら社会のあらゆる分野を支配していったとしても、肝心の信者や活動家は減り続けるばかりであろう。



哀れな勘違い学会員

少し前に、久しぶりに実家に帰省した時、会合に出てこない母の為に家庭訪問してくる老婦人部員が3人連れで訪問してきた事があった。「どうぞ」とも言ってないのに「上がらせてもらおう」と勝手に家の中に上がり込んだ婦人部のおばさん達はさっそく創価学会の信心の話を始めたのだが、その話の中で、「今ではあらゆる分野に創価学会が入っていて日本を動かしている。これからの社会は創価学会なしには動く事ができなくなる」と得意気に喋っていたものだった。
この婦人部のおばさん達に限らず、創価学会を盲信している学会員は、創価学会が世の中を支配している事を勘違いして、まるで自分達学会員が世の中を支配しているように思い込んでいるようだ。
創価学会と共に自分達が世の中を支配していると勘違いしているが、実際には自分達学会員が創価学会から支配されているのである。そこの所が全く判っていないようだ。なかなかおめでたい事である。
そういう話を聞きながら、筆者は何か反論しようかとも思ったが、こう言っては悪いが、年齢から考えて老い先短い老婦人達の夢を壊すのも悪いと思い、敢えて反論せず、話すままに聞いていた。
実際、その老婦人達の歳になると自分の考えに凝り固まってしまって人の正論にも聞く耳を持たなくなるので、議論しても無駄なので異議は挟まなかった。
母に聞くと、この老婦人部員達は創価学会の信心でバラ色の人生になる所か、夫をアルコール中毒で亡くしたり、息子を原因不明の病気で亡くすなど悲惨な人生なのだそうで、それでも学会の為に「不自惜身命」の活動を続けているという、実際には創価学会に支配されている哀れな学会員ではあるのだが、それでも創価学会と共に自分達が日本を支配していると思い込んでいるのならばそう思わせておけば良いだろう。
哀れではあるが、結局気が付くのは本人次第なのだから仕方がない。

創価学会が引き込みたい著名人

創価学会にとって最も信者に引き込みたい著名人の1人が乙武洋匡氏ではないだろうか。身体的ハンディキャップを克服して成功者となった人生に加え、その明るく親しみやすいキャラクターは学会員としての理想の姿でもあり、創価学会の信者に引き込めば、大きな広告塔となる事は間違いないかも知れない。実際、乙武氏を学会員だと思い込んでいる会員も多いようで、道で学会員から声をかけられる事も多く、学会員ではない事を告げるとがっかりした顔をする人が多いと本人も語っていた(参考元URL)。
しかし、そんな乙武氏は創価学会とは一線を画しているようで、創価学会は学会部外者の有名人を学会メディアに引っ張り出して宣伝に利用する事が多いが、筆者が知る限りでは、今まで聖教新聞や「潮」など、学会メディアには出ていないようだ。
また、乙武氏以外にも、大平光代氏なども創価学会の信者に欲しい1人だろう。若い頃の壮絶な人生から立ち直って弁護士となった大平氏は、そのドラマチックな体験談が創価学会の広告塔としての役割が見込まれる為、是非とも引き込みたい人物ではあるだろう。実際、聖教新聞に学会大幹部と対談している記事やインタビュー記事が載っていたものだ。しかし大平氏は浄土真宗の信仰者となってしまい、創価学会にとっては残念な事であった(笑)
いずれにしても、著名人は創価学会のようなカルトに入ってしまうと自身の人気も信用も落としてしまう事になるから、迂闊に創価学会には関わらないようにした方が良いだろう。


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