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御書にも書かれていない「師弟不二」

今や創価学会が信者に対してよく使う言葉と言えば「師弟不二」と「師への報恩」ではないだろうか。
先月の9日付聖教新聞にも「師弟不二の実践に成仏の血脈」という大見出しが掲載されていた。とにかく聖教新聞にはよく出てくる言葉である。
その創価学会は自分達こそ現代において宗祖・日蓮の教えを最も正しく実践している最も正しい仏教団体だと広言し、「御書根本」だと主張しているのだが、「師弟不二」という言葉は仏教思想にもないし、法華経にもないし、根本にしているはずの御書にも書かれていない。創価学会が勝手に言い出したものでしかないのだ。
そのような仏教思想にも御書にも書かれてないものをあたかも仏法の根幹・本質であるかのように信者に植え付け、それを疑う事なく盲信する信者を「信心強盛」と称賛し、異を唱える信者には「反逆者」「謗法者」あるいは「異端者」の烙印を押して封じ込めようとしているのが創価学会なのである。
今の創価学会では池田名誉会長の方が宗祖と仰いでいる日蓮よりも格上になっているようで、宗祖の教えや言葉よりも池田名誉会長の言葉の方が重要視されているようだ。それで「御書根本」だと言いながら、御書にも書いてない名誉会長の言葉を優先し、名誉会長の命令のままに学会活動に励む事が成仏する為の血脈なのだと主張しているのである。
師が命令するままに実践活動してゆく事によって師から弟子へと「信心の血脈」が受け継がれてゆくなどと神秘的な言い回しをしているが、何の事はない、盲信している信者は徹底的にこき使われ良いように利用されるだけの話でしかないのだ。
創価学会ははっきりとは言わないが、名誉会長が日蓮よりも格上か、あるいは日蓮の生まれ変わりで、末法の本仏であるかのように婉曲に匂わせているのだろう。そうしてその名誉会長から信心の血脈なるものが受け継がれてゆくのだから、どこまでも疑う事なく命令通りに働き愚直に付いて来いという事を言いたいのだろう。信者を騙す為の「創価マジック」といったところだろうか。
盲信者からすれば本仏のような師匠から信心の血脈を受け継ぐ事ができると思う事で感激するのかも知れないが、盲信者でもない覚めている側からすれば馬鹿馬鹿しいだけの話でしかない。所詮は「創価マジック」で騙されているだけでしかないのだ。
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”不軽の精神”を語るのもおこがましい創価学会

今年元日の聖教新聞第7面「教学随想」のページに「仏教は「対話の宗教」」と題し、宗教哲学者ブーバーの「確信から確信への真の対話、胸襟を開いた人格から人格への真の対話」という言葉を引き、そのような対話が成り立つには、相手を同じ一個の人間として認め、相手を真に尊敬する心が不可欠だとし、それを体現しているのが不軽菩薩の礼拝行であり、その精神と実践を現代の世界に蘇らせたのが創価学会であると自賛しているのだが、創価学会がこれまで行なってきた折伏といえば、相手を見下し軽んずるような尊大さや人格を無視した強引さによる布教であり、不軽菩薩とは正反対の事をしてきたのである。
そういう場合、創価学会は「それは一部の会員が成果を焦って暴走し勝手に行なった事である」と信者のせいにし、責任逃れをしているが、成果を焦らせ暴走させたのは他ならぬ創価学会なのである。
創価学会が軽んずる事なく尊敬の心で接する相手は権力者や著名人くらいのもので、一般庶民に対しては人権を無視するような態度で接してきたのが事実である。そのような創価学会が「現代に”不軽の精神”をよみがえらせた」とはそれこそおこがましいというものだ。

なお、この点について、秀逸な考察をされているブログ記事を見かけたので、参考にされたい方はこちらを参照していただきたい。⇒ 想学談林-管理者の部屋



組織信仰は信仰ではない

「創価学会の組織を離れて成仏も幸福もない」「学会の組織から離れたら地獄の境涯に堕ちて不幸になるしかない」というのは創価学会の決まり文句であり、筆者が学会員だった頃も幹部からよく言われたものである。そこには創価学会の組織そのものに神秘的な力があり、その学会組織にしっかり付いていけば救われるというような教義とも言えない単なる迷信があるのみなのだが、いわゆるバリ活と呼ばれる熱心な学会員ほどその迷信を信じ込み、学会の組織に依存してしまい、そこから離れる事ができなくなってしまうものだ。
言うまでもないが、信心とか信仰というのは究極的には個人の心の問題であり、集団としての組織に付いて行くとか組織の歯車になって行動するとかという事は信心や信仰そのものではない。
その点について、先日、ある学会員のブログを見ていたら、こういう記事が書いてあったので、勝手ながらその一部をここに引用させていただいた。

[引用ここから]

「まずは『自立した信心を』と願ってやまない。
組織についていようがいなかろうが個人でも信仰は可能なのを私自身が証明している。
『御本尊様と自分』というのが本来の『信心』であるから。
『組織』は日蓮仏法を伝え学ぶ機会を与える『方便』なのだ。
『方便』を信じて『御本尊様』をなんとなく次に持ってきてしまっては本末転倒であるから。
間に『組織』を挟んでしまうと今は『組織信仰』に陥りかねないし実際そうなってしまっている学会員が増えてきている。
それでは信仰しているのではなく、会社組織と変わらない『運営者の1人』ということでしかないから」

[引用ここまで]

学会員の中にもこのブログ管理者のように組織信仰に疑問を持ち、学会の組織とは距離を置いている人もいるが、そのような考えに至る為には学会の組織とは距離を取るしかない。学会組織にどこまでも付いて行くバリバリの活動家は組織への依存から解放されるのは難しいだろう。
創価学会は学会組織から離れる信者や組織活動をしない信者を「退転者」と見なし、退転者がいかに悲惨な目に遭うかという事を信者に吹きまくっているが、その手法は信者を依存させる為に使うカルトの常套手段であり、裏を返せばそれは創価学会がカルトである事の証だと言える。
ちなみに、筆者は創価学会の組織から離れても別に悲惨な目には遭っていないし、特別に不幸になった事もない。それどころか、学会の組織を離れて却って人生を楽しめるようになったし、生きる事が楽になったというのが実感である。
勿論、創価学会に戻りたいなどとは夢にも思っていないし、戻る必要もない。
創価学会に戻りたいと思うようになったら人生も終わりである。

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