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大乗仏教と小乗仏教の違いは何か

とかく仏教は難しいという事を聞く。仏教が難しいのはその内容が複雑だからである。仏教を複雑にしている要因の1つに、大乗仏教と小乗仏教の区分けがある。創価学会でも「大乗仏教が小乗仏教よりも優れている」という言い方をしている。創価学会に限らず、日本の仏教一般でも同じような考え方になっているようだ。それは、日本の仏教の殆どが大乗仏教の立場だからである。
この大乗仏教と小乗仏教の区分けについては、創価学会批評には直接関わりがないかも知れないが、創価学会を批評する上で仏教の知識は不可欠であるから、このテーマについても敢えて取り上げてみたい。

元来、釈尊が説いた仏教には大乗だの小乗だのという区分けはない。ではなぜ大乗仏教と小乗仏教ができたのか。その為には、仏教の歴史を見てみる必要がある。

近代仏教学では、釈尊在世時代の仏教を根本仏教と呼ぶ。そして、釈尊在世時代から釈尊滅後100年頃までを原始仏教あるいは初期仏教と呼ぶ。

釈尊滅後100年から200年過ぎ頃に、仏教教団は戒律の解釈を巡って2つの部派に分裂してしまう。戒律の解釈に保守的な部派を上座部と言い、革新的な部派を大衆部と言う。これより以後、上座部も大衆部もいくつもの部派に分裂してゆくのであるが、近代仏教学ではこの時代の仏教を「部派仏教」と呼ぶ。

部派仏教の特徴としては、釈尊の教説を哲学的に精密に分析・解釈する研究が行なわれた事で、その論書を「アビダルマ」という。その研究内容は西洋のスコラ哲学のように煩雑を極めるものであった。
そして、仏教教団はアビダルマ研究と出家者個人の悟りだけに没頭してゆき、一般衆生に説法して教化するという事をしなくなってしまった。
このような中で仏教の革新運動として起きたのが、大乗仏教運動である。衆生教化をしなくなった仏教教団を批判し、「衆生救済」を前面に打ち出した理念を掲げる彼らは、自らを「大乗」(多くの人を救う事ができる優れた教え)と名付け、それまでの部派仏教を「小乗」(少しの人しか救えない劣った教え)と貶した。そして次々に新しい経典を創作していった。それが大乗経典である。法華経もこの時代に創られている。

大乗仏教は1つのまとまった教団ではなく、思想的に違ういくつものグループに分かれていたようである。諸大乗経典の内容が思想的にそれぞれ違うのはその為である。

その後、大乗仏教はヒンズー教の思想とも結びついて密教と呼ばれる思想に変化してゆき、より神秘的色彩を帯びていった。

そうして、この密教を最後に、インドでは仏教は衰退してゆくのである。

以上述べたように、小乗仏教という呼び方はあくまでも大乗仏教側から部派仏教側を貶した呼び方であるから公平な呼び方ではない。また、大乗仏教側は部派仏教が用いていた阿含経までも小乗教として軽んずるようになり、特に中国や日本は大乗仏教の立場として経典を移入したので、阿含経を小乗の教えとして、研究する者もいなかったのである。
天台智顗(てんだいちぎ)が「五時教判」で、阿含経を最も低級な教えとして位置付けたのも、「阿含経は小乗教」という先入観念があったからであろうと思われる。

このような経緯で大乗仏教と小乗仏教という区分けができてしまったのであり、元々釈尊が作ったものではないのだ。

だから大乗仏教と小乗仏教という言葉に踊らされる必要もないという事である。
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