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創価学会の「信心の確信」は当てにならない

創価学会では「信心の確信」という言葉がよく使われる。
創価学会の信心で大功徳が得られ、大勝利する事が間違いないという自信を持つ事を「信心の確信」として使っているようで、「信心の確信を深める」とか「信心の確信を積み重ねる」「信心の確信に立つ」といった言い方をしている場合が多い。
しかし、いくら信心の確信を深めたからといっても必ずその通りになるという訳ではない。
古い話で恐縮だが、筆者の母は元々創価学会に入りたくなかったのだが、父に引きずられて入会させられたので、学会活動には嫌々ながら付いていってたのだそうだが、その母が、大B長(現在の地区部長)のS氏が家に訪問してきた時、「もう学会活動は一切しません」と宣言したのだそうだ。
するとS氏は「本当に学会活動しなくて良いんですかぁー? どうなっても知りませんよー」と脅すような言い方をしたのだそうだが、母は支部総会や記念座談会などの特別な会合以外には出なくなったそうだ。
その後、S氏は公明党議員になったのだが、間もなくして肺ガンである事が判り、闘病生活に入ったのだそうで、
それから程なくして死亡してしまったのだという。
S氏は仕事以外は殆ど学会活動しているような人物で、ろくに食事もしないで活動に出ていたのだそうだ。そういうS氏はいわゆる「信心の確信」に立っていたのだろう。しかし、信心の確信に立っていても、ガンに罹り、60代で死亡している。
こういった話は学会員の間ではよく聞く話で、「創価学会の信心にしか大功徳も崩れない幸福境涯もない!」と確信を込めて力説する学会員が早死したり事故にあったりしている例は多い。生活に困って泣きついてくるような学会員も見受けられたものである。
要するに、学会員が誇らしげに主張する「信心の確信」というものは当てにならないという事なのである。いくら信心の確信を深めたと言っても、それが創価学会が主張するような現実に反映されなければ単なるうぬぼれや自己満足の範囲でしか有り得ない。創価学会では「幸福とは単なる気持ちの問題ではなく、現実生活に実証として顕れなければ真実の幸福境涯とは言えない」と規定しているのだから、学会流の言い方なら早死したり事故に遭ったり生活に困ったりするのは真の幸福とは言えないだろう。
このS氏については「ガンで死亡したのは寿命だったからだ」と反論する学会員もいる事だろう。しかしそれを言うのなら、学会員以外の誰についても言える事で、学会員以外の人が早死にしてもそれは「寿命だった」のであり、学会員が「学会で信心しなければ不幸になる」という折伏のセリフも言えなくなるに違いない。
ちなみに、これも母に聞いた話だが、学会を脱会して日蓮正宗の信者になった人が間もなく病死した時、学会員が勝ち誇ったように「そら罰が当たった」と喜んだそうなのだが、その病死した人は80歳代になってる人で、それこそ「寿命」というものだろう。
それはともかく、「信心の確信」と言ってみても、本人がそう思い込んでいるだけの話であり、それによって創価学会が崩れない幸福を保証してくれる訳ではない。
生きる上で揺るがない自己を確立するのは重要ではあるが、間違ったものを盲信して行っても現実は不幸になるだけだ。その実証はすでに多くの学会員が実例を示してくれている。





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