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仏法は勝負する為と闘争する為にあるのか

「仏法は勝負なり!」「折伏闘争」「題目闘争」とは創価学会の有名なキャッチコピーである。また、聖教新聞等の機関紙を見れば「闘争」「戦い」という文字が並び、「闘争する事こそが仏法!」「戦い抜いて大勝利せよ!」「戦わざる者は去れ!」などと、信者の闘争心を煽り立てる文字が躍っている。そして更には敵対者に対する汚い罵詈雑言の数々が書き立てられている。
このような標語や機関紙の記事文にあるように、創価学会は実に阿修羅のような闘争的・攻撃的・戦闘的な宗教団体である。

創価学会の言う「仏法は勝負なり」というキャッチコピーは何を根拠にしているのかというと、日蓮の手紙(『御書』の中の『四条金吾殿御返事』)に書かれてある「夫(そ)れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり」と、「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」などの文が依拠となっていると思われる。
創価学会としては宗祖と仰ぐ日蓮の言葉に拠っているのだと言うだろうが、では、そもそも仏法とは闘争するものなのか、勝負する為にあるのか。
この点について、釈尊の直説に最も近いとみなされている阿含経の中に次のような釈尊の言葉がある。

「勝てば他の怨みを受け、負ければ心安らかでない。故に勝負は共に捨てるべし」(増谷文雄氏の翻訳による)


これが仏教の基本思想である。この考え方は、その後仏教が様々に変遷していっても変わる事がなく、仏教の基本思想であり続けている。

釈尊の言葉にあるように、仏法とは勝負する為にあるのではないし、闘争する為にある訳でもない。
また、日蓮の言葉から「仏法は勝負なり」とか「闘争せよ!」という標語になるのは飛躍し過ぎだろうと思う。

創価学会の闘争本能丸出しの過激な攻撃性や罵詈雑言ぶりは、「仏法は勝負なり」という考え方から発しているのであろう。
しかし、それは本来の仏法ではない。創価学会は「我々は釈迦仏法ではなく、日蓮仏法だ」と言うかも知れないが、たとえ日蓮仏法であっても、その根底には仏教の基本思想を据えるべきだろう。
阿修羅のような「闘争」を前面に押し立てている創価学会は仏教ではなく、「阿修羅教」と名乗った方が良いのではないだろうか。
創価学会がいくら「反戦平和」を訴えても、「闘争せよ!」「戦え!」と闘争心を煽り立てているようでは、その実現は難しいのではないかと思う。

  
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