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狂信的創価系サイトの分析

創価系サイトではアンチ創価ブログ・サイトに対する罵詈雑言がよく目に付く。
そこには、アンチ創価の立場に限らず、一般的立場からも敬遠されるような内容が書き込まれている。
このようなサイトには結局、盲信者・狂信者しか共感できないし、同じ学会員であっても、学会の矛盾点に疑問を持っている会員には共感できないだろう。
そして、アンチ創価側から誹謗中傷・悪口雑言を受けているという被害者意識を持っているようだが、自分達もまた「くそアンチども」とか「アンチ創価のアホ」といった品性のない罵詈雑言で罵倒している。そこには自分達は特別だという特権意識が見えており、それが傲慢さとして現れているようだ。
敢えてサイト名は書かないが、例として挙げるなら、あるブログはかなり有名な創価系ブログのようで、内容から察するに、ブログ管理者はかなりの狂信者のように見受けられる。創価学会だけが唯一絶対正しいという独善的立場からの上から目線の様子で、創価学会を批判する者は全て極悪と見なす姿勢に終始している。
例えば、
[ いわゆる、「アンチ創価学会」という連中が、ネット上にはたくさん存在する。持て余した時間と、自分の人生のマイナス感情をもって、学会批判に費やす手合いである。手口はどれも似たり寄ったりで、宗教的信条はカケラもなく、さほどの信念も持ち合わせてない。“常識”を前面にかざし、良心的な市民の仮面をつけて、学会攻撃をするところに共通点がある。学会への誹謗中傷を目的とした個人サイトや、何年にもわたって学会の悪口を書き続けている連中を見ていると、空恐ろしくなってくる。]
と、アンチ創価側が善良な創価学会に対して誹謗中傷・悪口雑言を浴びせている下劣な存在であるかのように書いているのだが、そう言いながら、
[ ネットを跳梁するくそアンチどもは、どうしてアンチになったのか? アンチという心理の深層には何が秘められているのか? アンチに未来はあるのか? はたまた、アンチの日常や性質について考えましょう。ま、馬鹿なだけだろうよ。いっけねえ、結論を言っちまったよ(笑)。]
といった具合に品性のない言葉使いで応酬しており、下劣さにおいてはアンチに勝っているようだ。

また、別の創価系サイトでは、
[ ふだん目にするメディアには、アンチ創価学会の記事や投稿、学会に対する侮蔑の言葉がいっぱいです。]
と、創価学会側がいかにアンチ側から罵詈雑言によって侮蔑されているかという事を強調しているのだが、
[ アンチ創価は、自分たちの行動が創価学会にとって好都合であることが理解できない程度にアホである。アンチ創価のアホさ加減は、あと数世紀はなおらない。ならば放置したほうが楽である。なにより、敵対するアホがアホのまま放置されているのを見る喜びは、そうざらに味わえるものではない。 ]
といった具合に、こちらもまた品性のない罵詈雑言を浴びせている。
アンチ創価側が感情をむき出しにして学会批判をしている場合があるとしても、それに対する創価系サイトでもそれに負けないような汚い言葉、品性のない罵詈雑言が見受けられており、その点では五十歩百歩だ。特に創価学会を至高の存在と印象づけるには無理があるし、第一に、創価学会が批判されるのはこれまで批判されるような事を創価学会がしてきたからである。よく創価学会は「謂れなき非難を浴びせられ迫害を受けてきた」などといかにも善良な被害者面をしているが、創価学会がこれまで横暴な悪行を繰り返してきたからではないか。それに対して批判を浴びるのは当然の事だ。
そして何よりも、このような狂信的な創価系サイトは、アンチ創価の立場ではない一般人の立場から見てもその異常な狂信ぶりが感じられる事だろう。創価学会は開かれた宗教だなどと自賛しているが、これらの狂信者のサイトを見て、共感する一般人はいないだろうし、学会員であってもよほどの盲信者・狂信者でなければ共感できないのではないか。
実際、上記の2つの創価系サイトは狂信的な学会員の中ではカリスマ的立場にあるようで、コメント欄を見ても、同じく狂信的な学会員の狂信的なコメントが数多く書き込まれている。
もし筆者が今でも学会員であったとしても、同じ学会員と言ってもこのような連中とは関わりたくない。創価学会と関わりのない一般人ならなおさらそう思うだろう。
それに、アンチ創価を全て暇人が面白半分に学会攻撃をしていると十把一絡げ的に考えているようだが、アンチ創価の大半は創価学会に悩んでいる学会員だと言ってよい。そのような悩める学会員に対してもその悩みに寄り添う事もせずに「創価学会についてこれない落ちこぼれ」という見下した態度しか持っていない。
創価学会では「慈悲」を強調し、慈悲については、「悩んでいる人の事を我が身と感じて同じように悩む事」と定義した指導があるが、狂信的な学会員は悩める学会員の苦しみに同苦する事もせずに「信心が足りないからだ」「師弟不二の覚悟がないからだ」といった決まり文句で片付け、創価学会に悩む学会員を見下している。そうして創価学会にどこまでもついてゆく自分達こそ絶対正しいという謂わば選民意識によって悩める学会員を突き放しているだけなのだ。

もしも創価学会が広宣流布を成し遂げて、日本全国のあらゆる場所にこんな狂信的な学会員が大手を振って跋扈するようになったとしたら、それを思うだけで空恐ろしくなってくるし、創価学会が支配する社会になりインターネットも規制され「創価学会」で検索しても狂信者のサイトばかりしか見れないようになったらと思うと恐怖を覚える。
結局、狂信者だけでしか共感し得ないような集団は開かれた宗教などとは言えないし、特殊な集団としか言えないだろう。
これから創価学会が衰退してゆくのは時代の流れで避けられない事であるが、それでも最後まで創価学会に残るのはこのような狂信者達という事になるだろう。


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