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「御供養の精神」で財務を要求する創価学会

19日付聖教新聞第4面の「教学」のページに「御聖訓に学ぶ御供養の精神」と題する記事が掲載されていた。
そこでは、御書の文を引用しながら、法華経の行者に供養する事は”一切衆生を利益する”という広宣流布を支える事になるので計り知れない功徳があると強調すると共に、供養はどこまでも真心が大切だという事も強調している。そして最後に、広宣流布の為に供養する功徳の大きさは無量無辺であると締め括っていて、明らかに、財務が間近に迫っている時期であるだけに、いかにして会員に進んで寄付をさせるかという下心が露骨に窺える内容の記事になっている。
その記事では、創価学会こそ法華経の行者なのだから供養を受けて当然であり、学会に供養すれば無量無辺の功徳が受けられると言いたいようだが、しかし、根本的に間違っているのは、創価学会は法華経の行者ではないという事だ。
創価学会によれば法華経の行者とは自らを犠牲にする覚悟で折伏弘教を実践してゆく者の事を言うのだそうだが、しかし、創価学会の職員の殆どは一般会員に折伏弘教を実践させているだけで、職員自らは法華経の行者としての実践をしていない。
18日付聖教新聞の第5面「躍動する広布最前線」という記事にも書いてあるように池田名誉会長は「創価学会は、永遠に『折伏』の団体である」という指針を示したのだそうだが、その池田名誉会長自身はこれまで友人だというゴルバチョフ元ソ連大統領を始めとする世界の著名人と会談しても、お世辞を言って相手を褒めちぎってはただ仲良くしているだけで、全く折伏を実践していなかった。このような号令を掛けるだけで自らは折伏弘教を実践していない者は法華経の行者とは言えないし、法華経の行者ではないのだから創価学会には供養を受ける資格はない。それが根本的な間違いなのである。
折伏弘教を実践している者が法華経の行者だというのなら、学会員の布教活動が真理として正しい行動かどうかは別にして、実際に弘教活動を行なっている一般会員にこそ創価学会が供養するのが筋というものだろう。
本来供養を受ける資格のない者が大きな顔をして供養を要求する事こそが厚かましい事なのであり、厚顔無恥とはこの事を言うのである。

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