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「切断」の思想から見る創価学会

近頃、千葉雅也氏(哲学者・批評家)がドゥルーズ哲学を解釈した「切断」の思想が注目されているのだそうだ。現代は近年のスマートフォンの普及などに見られる「接続過剰」な社会となっており、「気にし過ぎ」「気にされ過ぎ」という息苦しい状況に陥っているとし、その息苦しさから「個」として呼吸の余地を取り戻すには、程良い「切断」が重要だと説く思想で、「動き過ぎてはいけない」「繋がり過ぎてはいけない」と強調している。
確かに東日本大震災以後、「絆」とか「つながり」という言葉が強調されるようになっているが、それが過剰になると息苦しさを感じるものである。
そういう意味で「繋がり過ぎ」「気にし過ぎ」「気にされ過ぎ」の代表格が創価学会の組織ではないだろうか。以前にも当ブログに書いたが、「腹十二分」以上の濃密な人間関係と「動き過ぎ」の学会活動を強要される学会組織には息苦しさを感じている人も多いはずだ。
千葉氏は言う。「動きすぎないというのは、自分を他者に関係づけすぎないということです。が、動かないのではない。他所へ、他者へ関心を向けるのをやめて「ひきこもり」に徹しようというのではありません。動かないのではない、「すぎない」くらいに動くのです」(紀伊國屋書店サイトの特集記事より引用)
要するに「極端に偏るのではなく、程々にせよ」という事であり、これは仏教の中道にも通じる考え方だと言える。
その点からしても極端に偏り過ぎていて中道から外れている創価学会などは仏教を名乗る資格もないだろう。

更に千葉氏は言う。「まずもって自分が楽しいということ、それを譲らないのが一番です。この基準はすごく大事だと思う。実際、何か譲歩したり、犠牲にならなきゃいけないことが出てきたら僕はできるだけ引きますし、犠牲になりたくないという思いがいつもあります。これはワガママじゃない。断固として、ほかの人にも犠牲にされるなと言いたいですね。事情の難しさはそれぞれとしても、犠牲にされない工夫をする。知性はそのためにあります」(『WEBRONZA』より引用)
「ほどほどに付き合う」「関わり過ぎない」というのは当たり前の事であり、別に哲学として論じる必要もないとは思うが、創価学会のようなカルトが存在する限り、理論武装としてこの「切断」の思想を知っておくのも必要かも知れない。

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