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ある創価系ブログについての一考察

先日、インターネットで検索していたら、ある学会員のブログを見つけた。そのブログ管理者は役職は明かしてないのだが、B長や地区部長の経験があり、今では時々地区部長と共に地区の部員回りをすると書いてあるから支部幹部ではないかと思われる。
その学会員のブログは記事数は少ないのだが、その中にアンチ創価学会ブログへの批判記事がいくつか書いてあった。
そのブログは現在は更新されてないようで、その記事自体は2012年のものだが、現在でも通じる内容なので、その「アンチ創価ブログへの批判」について考察してみようと思う。
そのブログ主は2週間の間に集中してアンチ創価ブログを検索して見て回り、その中のある有名なアンチ創価ブログにはコメントも書き込んで対話もしたそうなのだが、その結果として「(アンチ創価ブログは)数は腐るほどあるが(ほとんど実際に腐っているようだが)、これと言ったまともな内容のものはホントに少ない」と書いている。
そして「全部とは言わないが9割9分の学会アンチブログは「陰謀論」を無批判のベースで「感情論」を中心に話を進めている」とし、「「アンチ学会」と自ら標榜するのであれば、もっとしっかりした反学会論陣を張り(論理的に話をして)、実生活でも反学会活動(学会活動の阻止)をするべきだと思うが、それをやろうとは夢にも思っていない人種の集まりなのである」と結論付けしている。
一読して判る事だが、このブログ主は「創価学会に絶対間違いはない。創価学会は何が何でも正しい」という前提に立っており、その前提から「アンチの言う事は全く話にならない」と結論付けている訳で、アンチ側に論理性を要求しているが、その本人に論理性がなく、ただ「正しいものは正しいんだ」という1人よがりの論法しか見いだせない。

また、アンチ創価ブログでよく使われる「マインドコントロール」という言葉についても、「このマインドコントロール論はアメリカでも日本でも疑似科学として相手にされてもいない」と書いているのだが、問題にされているのは、マインドコントロールというものが科学的に認められているかどうかではなく、本人が自ら望んで創価学会に入会しようとする意思もないのに、「罰が当たる」「不幸になる」などの恐怖心を植え付けたり、人間関係の心的束縛によって入会せざるを得ないよう仕向けるなど、健全な判断能力を失わせるような行動をしている事を問題視しているのである。それを判りやすい表現として「マインドコントロール」という言葉を使っているのであって、マインドコントロールが科学として認知されていないからそのような行動は存在しないという事ではない。
このブログ主はマインドコントロールが擬似科学として科学者から相手にされていないからといって、創価学会に一切マインドコントロールを想起させるような行動がないかのように勝ち誇っているが、これまで創価学会が相手の人権を無視したような方法で折伏をしたり信者を活動に引っ張り出したりしていた事は周知の事実である。それらがつまりマインドコントロール的な行動なのであって、その概念が科学的に認められているかどうかが問題なのではない。マインドコントロール的な行動をしている事が問題なのである。
創価学会にマインドコントロール的な行動は一切存在しないと言うのなら、このブログ主は学会員だと名乗ってはいるが、現実の創価学会を知らない名前だけの学会員という事になるだろう。

それから、マインドコントロールについて「研究者の或る人の語訳では「強制的説得」という言葉を使っている。アメリカでは疑似科学だとのことである。要するに再現性が無いとのことらしい。「説得」を「強制」してやっていく、のはどこの組織にでもあるありふれた方法論である。それをマインドコントロールという横文字にすると、何となくよく分からない不気味な響きの言葉になる。日本ではこの「強制的説得」という言葉を盛んに使用して、…だからカルトだ!という短絡的な結論を出して、そしてそれが真実・事実だとの前提で話を進めていく。強制的説得とは他人の精神を自由にコントロールできるものでは全くないのだが、それが可能だと信じ切っているのだ」と、このブログ主はいわゆる強制的説得がどこの宗教組織でも使っているありふれた方法であり、何ら害のないものであるかのように断定しているが、創価学会の折伏方法と一般的な宗教の布教方法には大きな違いがある事も周知の事実ではないか。創価学会の折伏方法は一般的な宗教の布教方法と何ら違わないと思い込んでいるこのブログ主の問題意識の無さこそが問題なのであって、創価学会がこれまで行なってきた強引な悪質商法のような折伏行をも正当化するものであり、自分達の行為を何ら省みる事もないその無反省な有りようこそが問われるのである。

また、このブログ主はある有名なアンチ創価ブログにコメントして対話した時、「「アンチ」は理論的な話はほとんど出来ない世界だと実感した。自分のコメントに対して1~2人ほどはしっかりした対応をしてくれていたが、あとは感情論、陰謀論、モノトーン、非難等々、全く話にはならなかった」と思ったそうなのだが、それは学会員のブログも同様で、筆者がこれまで見てきた学会員のブログのコメント欄でも、創価学会に異を唱えるコメントに対しては、学会員が寄ってたかって罵詈雑言を浴びせて非難する書き込みが多かった。要するに自分達も同じ事をしている訳で、他を批判できる立場ではないだろう。
以上、学会員のブログについて考察してきたが、終始「創価学会に間違いはない」という結論ありきでの論調でしかなく、アンチ創価側を理解しようという努力も見えない。だからアンチ創価ブログにコメントを書き込んで対話しても「全く話にならない」という結果になるのであるが、それは自分がそういう態度でしか対話しないからであって、当然の結果だと言える。
そもそも、創価学会が正しさの根拠にしている天台の五時教判説は近代仏教学の研究によって正しさの基準とは言えなくなっており、現代では創価学会が唯一正しい宗教などという主張は通用しなくなっている。
勿論、それを判った上で「自分は法華経を学んでみたいから」「自分は日蓮の教えに関心があるから」「自分は創価学会が好きだから」という事で自分の宗教を選ぶのは構わないが、「創価学会だけが唯一正しい宗教であり、創価学会に入信しなければ地獄に堕ちる」というような脅迫で入信を迫る事が問題なのである。それが創価学会がカルト呼ばわりされる原因の1つとなっているのだ。

そしてもう1つ。このブログ主には、アンチ創価側、特に創価学会を脱会した元学会員に対しては、「学会についてこれなかった落ちこぼれ」という上から目線の傲慢さが見えており、それが「「アンチ学会ブログ」の運営者は人生においても敗残者なのだ。実際の生活環境で学会への反論は棚に置いて(鍵を2重に掛けて)おいて、とにかく楽なネット上で大騒ぎをするのが基本好きな人種のようだ。と言うか、それしかできない連中なのであろう。そしてそこに群がって「コメント」をしたり顔で書いている人間も、また同類」という文章によって表わされている。
現実に存在する創価学会の問題点を棚上げして、その問題点を論じるアンチ創価ブログを理解しようともせずに「創価学会にどこまでもついてゆく我々こそ正しい」とするその姿勢こそ健全な社会と対立する元凶だと言わざるを得ない。


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