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創価学会は「人間主義」ではなく「組織優先主義」

創価学会は「人間主義」なのだそうで、聖教新聞社の広告でも「ここに人間がいます」などというキャッチコピーを使っていたものだが、しかし実際には、創価学会は「人間主義」ではなく、「組織優先主義」なのである。
個々の信者よりもまず組織こそが重要なのであり、組織こそが信者個人よりも最優先されるのである。
そもそも仏教には出家者の集団(緩やかな組織)はあっても信者の組織というものは存在しなかったのであり、信者は直接出家者の説法を聴いて人生の糧としていた訳だから、信者としての組織というものは本来必要のないものであった。
仏教の場合、日本では特に戦国時代から信者の集まりとしての講の組織化が進められたそうだが(それ以前から講は存在していたが、まだ組織化はされていなかった)、それは戦乱の世の中で、各地域の寺院を信者が護る為に自主的に行なったのが始まりのようだ。それはあくまでも戦乱の世にあって、信仰する寺院を護る為の自主的な組織化であり、現代日本のような平和な世にあっては必須のものではない。
このように書くと、現代は大昔ののんびりしていた時代と違って何でも効率化しなければならない時代なのだから、信者の集まりも効率化する為に組織化しなければならないなどと言うかも知れないが、信仰や信心というのは心の問題であって効率化などする必要もないはずである。
信心する為に効率化が必要だというのは、一般の信者側ではなく、信者を管理する側、即ち池田名誉会長を頂点とする創価学会の職員側ではないか。学会組織の職員が信者を効率よく活動させ、新しい信者を獲得させ、出版物を買わせ、選挙活動に動員し、財務に寄付させるのを効率よく行なう為に組織化しているのではないか。それらはあくまでも組織の職員側の都合であって、一般信者側の都合でもないし、第一に一般信者には関係ない事ではないか。
それでも組織が重要だと主張するのなら、それは組織を敬う組織信仰に他ならない。
結局、創価学会は「人間主義」などという耳障りの良い言葉でカムフラージュしているが、その実態は人間個人の尊厳を無視した「組織優先主義」であり、信仰心を利用した「組織信仰」に他ならないのである。学会員は、創価学会が言う所の「1人ひとりを大切に」どころか、使い捨ての組織の歯車にされているだけでしかない。
勿論、同じ信仰をしている信者が自主的に寄り集まる集会などは構わないが、それを効率化する為だといって組織化する必要などどこにもない。たとえ純粋な信仰の為の集団であっても、そこに権力志向を持った者がいると、その組織を己の権力獲得の為や我欲に利用しようとするものである。それが今の創価学会の姿ではないか。創価学会は謂わば教団のプロである職員が自分達の財産を増やし権力を獲得してゆく為に信者を利用しているのであり、それを効率よく行なう為に鉄の団結を強要し組織化を徹底させているのである。創価学会が組織を優先させるのはそれが目的だからだ。
ちなみに、創価学会では唱題する場合でもせわしない早口の題目が流行っている(?)ようだが、これなども題目を数多く唱えると福運がたくさんもらえるという、数にこだわった創価学会ならではのご利益信仰により、より多く題目を唱えられるように早口で唱題しているのだろう。唱題さえも効率化している訳だ(笑)
いかにも創価学会らしい。




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