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哲学的思考とは程遠い創価学会

聖教新聞にまた興味深い記事があったので、それについて書いておきたい。
今月28日付の第12面「スタートライン」に「哲学的思考で人生が変わります。」という見出しの記事が掲載されていた。
近頃聖教新聞は紙面を一新したようで、今まで番組欄だった所に創価学会とは無関係な芸能界やスポーツなどの記事が掲載されるようになったらしく、この日は哲学についての内容になっている。
そこには、学会部外者と思われる哲学者の小川仁志氏へのインタビュー記事が書いてあるのだが、小川氏は社会的な活動への参加や貢献を呼びかけようとする実践的哲学としての「公共哲学」を研究分野にしているそうで、どうやら創価学会は、選挙活動や学会活動の実践によって社会と関わっている創価学会にこそ、公共哲学と共通している哲学があるという事を暗に言いたいようだが、しかし、創価学会が哲学と根本的に違うのは、小川氏が言っているように、哲学とは、本質に迫る為にまず「考える」事であるが、創価学会では考えるよりもまず「信じる」事が最重要視されている。
何しろ創価学会には「愚直の信心たれ」という指針があるくらいで、学会員は考えるよりもまず盲目的に信じてついて行く事が求められているし、むしろ自分の頭で考える事は「独覚」という低い境涯でしかないと見なしているほどであるが、このように、考えるよりもまず池田名誉会長及び創価学会を盲目的に信じる事を強要する創価学会に哲学というものはないと言える。
更にその記事には、「デカルトのようにその現象を疑い、思い込みを取り去る」とか「レヴィ=ストロースのように現象の全体像を把握し、いらないものを削ぎ落とす」とか「ヘーゲルのように対立した2つの物事を切り捨てる事なく取り込んで磨き上げる」事が小川氏が勧める哲学的思考のポイントとして紹介されているのだが、これもまた、創価学会では疑う事は許されないし、創価学会の無駄な活動を削ぎ落とす事も許されないし、他宗・他思想は謗法だという創価学会では対立する物事を取り込んで磨き上げるという事も許されない事であるから、そもそもそのような哲学的思考ができないのである。
そして、小川氏は「哲学する」とは「自分の頭で考え、様々な考え方の相手と対話し、しかもその議論では相手を全否定しないで対話する」事なのだと語っているのだが、これもまた、創価学会では信者は自分の頭で考える事は許されないし、折伏などでも相手の意見を全否定するのが創価学会なのだから、そのような創価学会で哲学的思考をするというのは無理と言うしかない。
創価学会は聖教新聞の記事に外部の哲学者を引っ張り出してきて、いかにも創価学会は哲学的な思考をしている宗教団体であるとアピールしたいようであるが、このような記事を書けば書くほど創価学会は哲学とは程遠い教団だという事を露呈してしまい、逆効果にしかならないようだ。


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