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社会的有用性だけで評価する危険

学者や評論家などの文化人の中には、創価学会の社会的な有用性だけを論じ、その結論として「創価学会は社会の中で一定の役割を担ってきた」とか「戦後日本の底辺に位置する大衆の為に役立ってきた」などと理解を示し創価学会を好意的に評する者も多いのだが、しかし、それは一面だけを見て他の面を見ない単眼的な見方でしかない。
創価学会が社会的に役立ったかに見えても、その学会の犠牲になった大衆も多くいる事を見落としてはならない。
創価学会に理解を示す文化人の論は、ナチスは第一次世界対戦後のドイツを経済復興や科学振興等によって立て直したから善であるとしてナチスの犠牲になった民衆を見て見ぬふりをするか若しくは少々の犠牲は仕方がないと言っているのと同じなのである。
創価学会を社会的有用性だけで評する文化人は、創価学会に対しては第三者的な立場であり、謂わば気楽な立場であるだけに犠牲になった大衆など眼中にない訳である。
社会の中で一定の役に立ったと言って創価学会に理解を示すのは、犠牲になった大衆を無視した、謂わば弱者を切り捨てた発言であり、結局は勢力のある側に付く追従者だと言ってよい。
創価学会に好意的な文化人にはこのような追従者が多く見受けられるから、その言動には注意が必要だ。
創価学会が社会的地位のある文化人から好意的に評価されているからといってそれを盲目的に信じる時代はすでに終わっているのだ。たとえ社会の底辺に位置する大衆であっても、自分の頭で考え判断すべきである。その判断ができずに著名な識者から称賛されているから創価学会は正しいと今でも信じている学会員などは、いつまでも創価学会の犠牲になってゆく事だろう。自分が犠牲になっている事すらも判らずに犠牲になり続ける滑稽さに気づくべきだ。




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