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仏教の名を貶めた創価学会

「創価学会こそ宗教界の王者」「創価学会こそ最も正しい仏教団体」とは創価学会がこれまで掲げてきた宣伝文句であるが、昔はそれで通用してきたが、と言うよりも、うまく大衆を騙してこれた訳だが、現在のようなインターネットで様々な情報を容易に得られるようになった時代ではもはや通用しなくなってきているし、大衆もそう簡単には騙されなくなってきている。
それでも聖教新聞などを見てみると、相変わらず「学会活動こそ仏になる道」などと厚顔無恥にもうそぶいているが、これなどはいかに創価学会が大衆をなめきっているかという事の証左でもある。
釈尊の説法から始まった仏教も時代と地域の変遷に伴ってその思想や化儀もかなりの変貌を遂げたのは事実である。
仏の教えとは言え、時代や地域が変わればその思想や化儀も変化するのは当然とは言える。
仏教の開祖が説いた教えだから現代でも1つも変えてはならないというのは硬直化した原理主義であり、時代や地域に則したものに変わってゆくのは当然の結果ではあるだろう。ただ、それでも仏教の根本として変えてはならないものもある。枝葉の部分は変わっても良いが、根本的なものが変わってしまってはもはや仏教とは言えなくなる。
日本仏教もインド仏教とはかなり違う形態に変わってしまっており、全く違う宗教と言っても良いくらいなのだが、それでも日本仏教が仏教足り得るのは、その根本の部分に釈尊以来の仏教の精神が伝えられているからだ。
それに対して「戦え」とか「闘争する事こそ仏法」とか、あるいは「勝って勝って勝ちまくれ」「大勝利しろ」などとうそぶく創価学会にはその根本の部分にもはや仏教の精神がなくなっている。勝ち負けにこだわらない事や執着心から離れる事は仏教の根本精神なのに創価学会は勝ち負けにこだわり、信者に執着する心を植え付けている。これは根本の部分ですでに仏教ではない。世間でよく言われるように「創価教」あるいは「池田教」とでも呼ぶべきもので、仏教とは違う宗教である。
創価学会では盛んに「教学こそ信仰の〝背骨〟である」とか「教学こそ信心向上の推進力」などと言ってるし、池田名誉会長の言葉としても「教学の力を持たなければ、真実の偉大な信仰者とはいえない」というのがあるが、学会教学を懸命に学んでもそれは創価学会内でしか通用しない。自分達だけで自己正当化して「我々こそ正しい」と思い込んでいるだけの話でしかないのだ。自己満足する為の学会教学でしかないのだ。
そういった事は昔は一般大衆には知らない人が多かったものである。筆者も学会活動する前は、活動に引っ張りだそうとしつこく訪問してくる学会活動家に「なぜ創価学会だけが正しいと言えるのか」とか「なぜ学会活動する必要があるのか」などと抵抗していたものだが、相手が天台の「五時教判」などを持ち出して「だから現代では、最も法華経の教えを正しく実践している創価学会だけが正しいし、学会活動しなければ謗法になるんだ」などと言うと、それに反論する事ができなかったものである。今ならそんな事は簡単に論破できるのだが、当時は仏教の知識には全く疎く、また、幼少の頃から創価学会の雰囲気の中で育った為、「創価学会は正しい宗教」という考え方が刷り込まれてしまっていたという事もあり、、相手が学会教学で来ると何も言い返せず、「創価学会は正しいから仕方ないか」などと思って渋々ながら学会活動を始めたものであった。
しかし、今まで簡単には知り得なかった情報がインターネットで簡単に得られる時代になった今、一般大衆でも創価学会の実態が判るようになってきている。
それによって創価学会がいかに仏教の名を貶めたかという事も判るはずである。
そのような創価学会には「宗教界の王者」に代えて「詐欺師の王者」というキャッチフレーズを進呈しておきたい。



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