スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

哲学の立場からの創価学会批判

世に創価学会批判は多いが、哲学の立場からの創価学会批判もあるようだ。創価学会の教学を哲学の立場から批判しているのは哲学者の梅原猛氏で、『美と宗教の発見』 (ちくま学芸文庫・2002年度刊)という著書の中で論じているものである。
なお、梅原氏はこの著書を刊行後、創価学会の雑誌に原稿執筆をするようになった為、これ以後創価学会を批判する事がなくなってしまったのが残念である。文化人に高額の原稿料を払って執筆依頼をし、批判を封じ込めるというのは創価学会の得意の戦略であり、梅原氏もその仕掛けに掛かってしまった形であり、それが残念である。
それでも、この著書は創価学会の教学を哲学の立場から批判するという試みが為された稀な書であり、価値ある内容の批判書であると思う。

その梅原氏の著書を紹介しているサイトから勝手ながら引用させていただく。
(参考サイト⇒ http://rodori.hatenablog.com/entry/2013/05/24/230756 )


[ 引用ここから ]

梅原によれば、創価学会の思想には二つの大きな源流があります。

1.新カント派の価値論
2.日蓮の生命論

初代会長の牧口常三郎によって持ち込まれたのが1、二代目会長の戸田城聖によって持ち込まれのが2です。本書の前半では1が、後半では2が、それぞれ批判的に論じられています。

今日「創価学会」と言えば2の要素を私たちはイメージしがちです。しかし、そもそも「創価」とは「価値の創造」のことです。そのことを踏まえると、2に負けず劣らず1の要素が重要なものあることがわかります。

「真理」はあくまでも認識の対象であって評価の対象ではないと考えた牧口は、「真・善・美」を説いた新カント派の価値論から「真」を追放しました。そして、「真」の代わりに「利」を導入し、「利・善・美」の価値論を彼は説きました。
追放された「真理」はどこに行ってしまったのでしょうか?価値-評価作用の領域から切り離され、排除された「真理」は、認識作用の領域にすっぽりおさまることになりました。

真理 - 認識作用の領域
価値 - 評価作用の領域

梅原が批判するのはまさにこの二元論です。その成立の当初において「真理」を価値論の領域から排除してしまった創価学会は、自分たちが説く教説の当否を判断する自己批判の精神を失ってしまっている。創価学会がいまだに天台智顗の五時八教の教えや釈迦の入滅についての日蓮の教えのように現代の文献学からすれば非科学的でしかない教えに固執しているのは自己批判の精神が無いからだと梅原は手厳しく批判しています。


[ 引用ここまで ]

未だに天台の五時教判説を錦の御旗に振りかざして「我々こそ最高に正しい」と主張している創価学会の旧態依然とした体質を批判し、その原因を創価学会の自己批判の精神の欠如と見なしている梅原氏の指摘は的を射ている。
創価学会は「我々こそ最高に正しい」と誇示しながら、その主張の内容は科学的検証に耐えないものでしかない。
勿論、信仰というのは科学的に立証される必要はないが、それならば「世界最高に正しい」とか「唯一正しい」などという悪質商法のような過大な表現や「入信しなければ地獄に堕ちる」などと脅したりするべきではないだろう。どのような信仰でも自由だとは言っても、創価学会の折伏のような信仰の押し売りをするからには、科学的にも検証され得るものでなければ「唯一正しい」などとは言うべきではない。



関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

Author:時空無限
FC2ブログへようこそ!

人気ブログランキングに参加中
ご協力をお願いします


人気ブログランキングへ



こちらにもご協力をお願いします



最新記事
FC2カウンター
検索フォーム
月別アーカイブ
リンク
フリーエリア
カテゴリ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。