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孤独を恐れる創価学会

創価学会は事ある毎に孤独を不幸であるかのように決めつけたり、悪であるかのように決めつけているが、それは創価学会が信者を組織の歯車として利用したいからである。創価学会は、信者が矛盾や疑問を抱き学会組織から離れていく事を最も恐れている。それを防ぐ為に会合を頻繁に行ない、活動に駆り出して忙しくさせ、考える余裕を与えないようにしているのだ。そうしてマインドコントロールしているのであるが、その為には常に信者を学会組織に密着させておかなければならないからである。その理由付けとして孤独がいかに不幸であるかという事をことさらに強調し、そしていかに集団の中で大勢の仲間が必要であるかという事を強調している訳である。
齋藤孝氏の著書に『孤独のチカラ』という本がある。少し長くなるが、その核心の部分を以下に引用しておきたい。

[ 現代人は孤独を非常に恐れる。その反動なのか、<友達がいないと不安だ症候群>とでも言いたいほど、人とつるみたがる。実際、「友達がいない」と言うと、ほとんど人格破壊者のように扱われる世の中である。友達がいない状態があまりに怖いために、本来つき合わなくてもいい相手とずっとつき合ってしまう人は多いのではないか。それが居心地がいいというなら、それも一つの生き方だ。だが、本心では満足していないのに、一人でいることの意味をポジティブにとらえることができなくて不本意な時間を過ごしているなら、その膨大な無為は人生の意味を薄めてしまうことに等しい。(中略)できればエネルギーのある若い時期にこそ、ぐっとため込んでいく孤独を知ってほしいと思う。(中略)自分を徹底的に磨く。勝負をかける。その時期に、自ら進んで孤独になる。これは、孤独の技法というべきものだ。 ]

齋藤氏が書いている事は創価学会についても言える内容で、学会の組織に付き従い、その集団の中で群れていると安心するという学会員は多い。そして学会の組織から離れていると不幸になるのではないかと不安になってしまい、ますます学会組織から離れられなくなるのである。まさに創価学会の思うツボという訳だ。
実際には学会組織に付いて行く事により学会の手先としてうまく利用されているだけに過ぎない。それで満足している学会員ならまだしも、好きでもないのに学会の集団に群れているのなら、それこそ無駄な人生だと言ってよい。
孤独というと一般的にもマイナスイメージがあるが、孤独が全て悪い訳ではない。ただの逃避として孤独を選ぶのはマイナスでしかないが、齋藤氏が言うように自分を磨く場としての孤独はあって良いのだ。原始仏典にも「犀の角のようにただ独り歩め」という言葉があるが、釈尊もイエス・キリストもその他の宗祖達も孤独の時期を体験して悟りに至っている。宗教家ではない俗人がそこまで徹する必要はないが、群れから離れて孤独の中で思索する事も必要だ。そうする事によって創価学会が本当に自分の人生に必要なものなのかという考えに至る事もあるだろう。創価学会にとっては信者にそういう考えを持たれては困るからことさらに「孤独は不幸だ」と強調している訳だ。要するに、学会にとって信者に冷静に考えられては困るのである。人が冷静に考えられる状態というのが孤独という場だからである。
その上で「孤独は不幸」だと思うのなら、創価学会やカルト以外の集団・コミュニティに入れば良いのである。
創価学会でしか孤独から抜ける場所がないという訳ではないし、ましてや創価学会はカルトなのだから入る必要もない。
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